祖父は帯屋を営む
アンテプリマ(ANTEPRIMA)のクリエイティブ・ディレクターを務めているデザイナー、荻野いずみは1954年、東京都に生まれました。祖父は銀座で帯吉という帯屋を営むなど、裕福な家庭で育ちます。
学生時代にはその帯吉でアルバイトの経験を積み、日本の伝統美とビジネスセンスを身につけていきました。
結婚と自立
成城大学三年生の時に、学生結婚をし、夫の仕事の関係で渡米し、非常に恵まれた結婚生活を送ります。後に帰国し、24歳の時に長男を出産しました。
日本に戻ってからの彼女はさまざまな習い事に精を出す日々を送り、長男が通うインターナショナルスクールで副会長を務めるなど、社会復帰を渇望していました。
時代はバブル期に突入し、夫は仕事に忙殺され、次第に夫婦間で溝ができていきます。30歳前に自立を決意した彼女は、離婚を選択します。
ファッション業界への参加
離婚後、宝石や毛皮のセールス業に携わり、知人からプラダ(PRADA)の香港展開の話をもらったのをきっかけとして本格的にファッション業界に足を踏み入れました。
29歳の時に知人、香港でニットのOEM事業を展開していた荻野正明、荻野いずみの3人で出資したプラダの極東代理店、IPIファーストを設立し責任者として香港に移住します。
ペニンシュラホテルに1号店を出店し、初年度より利益を出すことに成功しました。その後各国に出店を進めて行き、日本に現プラダジャパンの前身となるIPIジャパンを設立し、荻野正明と再婚をします。
アンテプリマの誕生
1992年にはIPI社の新ブランドピッティ(PITTI)の責任者に抜擢されました。このピッティが、アンテプリマの前身ブランドとなります。
その後プラダがミュウミュウ(MIUMIU)を立ち上げるのを機にIPI社の株を全てプラダに売却して独立し、1993年、荻野いずみがクリエイティブ・ディレクターを務める靴とカバンのブランド、アンテプリマを設立しました。
アンテプリマとはイタリア語でデビュー前、という意味で、荻野いずみ自身の人生経験から、女性が社会デビューするのに遅すぎる年齢なんてないのだ、という意味合いが込められています。
ミラノコレクション参加
1995年に活動拠点をミラノに移すとプレタポルテを開始しました。1998年よりミラノコレクションに参加します。日本人女性が公式日程デザイナーとして参加したのは彼女が初めてでした。
その後、アンテプリマは着物や傘、帽子、手袋など10カテゴリーのライセンスを開始します。
輝かしい実績
アンテプリマはブランド15周年記念にハローキティとコラボレーションしたり、2013年、日伊交流400年記念としてローマの日本大使公邸にてランウェイを行ったりと、着実に実績を積み上げています。
2016年にはイタリアのあらゆる文化人を表彰するTAOMODAにおいて、ファッション部門を受賞するなど、ブランド、人物ともに国内外で高い評価を得ています。