創設者 ジョルジオアルマーニ
ジョルジオアルマーニ(Giorgio Armani)は、ファッションブランド、ジョルジオアルマーニ(Giorgio Armani)をはじめ、レストランやリゾートホテル、チョコレートに至るまで、数々の事業を展開し、幅広く活躍しているデザイナー兼実業家のひとりです。
ジョルジオアルマーニのファッションアイテムは、シンプルかつ洗練されたデザインと素材と縫製の良さが評価され、モード界の帝王と呼ばれています。
一度は医師志望
ジョルジオアルマーニは、1934年7月にイタリアの北西部に位置するピアチェンツァで生まれました。高校卒業後、ミラノ大学医学部に進学し、医師としての道を進みますが、大学2回生の時に兵の招集があり、医学の道から一度遠ざかります。
様々な経験
その後、兵役を終えても大学には戻らず、デザイナーとしての道を進むこととなります。
1957年の23歳の時に、ジョルジオアルマーニはミラノの百貨店である、ラ・リナシャンテに就職し、ウィンドウドレッサーバイヤーという紳士服の買い付けを行う仕事を務めます。
ウィンドウドレッサーバイヤーという仕事を通じて、生産工程や流通、素材についての知識、消費者の求めているデザインなどを学び、知識を深めていったジョルジオアルマーニは、1965年の31歳の時にメンズウェア、ヒットマン(HITMAN)のデザイナーにスカウトされます。
ヒットマンは、ニノ・セルッティ(Nino Cerruti)が1957年に立ち上げたメンズファッションブランドです。ジョルジオアルマーニは、ニノ・セルッティの元でデザインの知識を深め、デザイナーとしての基盤を確立させていきます。
セルジオ・ガレオッティとの出会い
1968年、34歳になったジョルジオアルマーニは、建築家であるセルジオ・ガレオッティ(Sergio Galeotti)との出会いを果たします。
セルジオ・ガレオッティに独立を勧められたジョルジオアルマーニは、1970年にヒットマンから独立し、フリーデザイナーとしての道を進むこととなります。
ジョルジオアルマーニの始まり
1975年、ジョルジオアルマーニが41歳の時に、セルジオ・ガレオッティとともに立ち上げたのが、ジョルジオアルマーニ社(GIORGIO ARMANI S.p.A.)で、資本金は1万ドルでした。
ジョルジオアルマーニ社を設立して以来、ジョルジオアルマーニはメンズコレクションやレディースコレクションを次々発表し、デザインや素材、着心地の良さが評価され、直実にトップデザイナーの道を進んでいきます。
1981年にはジョルジオアルマーニのセカンドライン、エンポリオアルマーニ(EMPORIO ARMANI)やジーンズライン、アルマーニジーンズ(ARMANI JEANS)を発表し、ジョルジオアルマーニはモード界の帝王と呼ばれるようになります。