1999年に、メンズファッションブランドのアタッチメント(ATTACHMENT)をスタートさせたのが、デザイナー「熊谷和幸」です。熊谷はファッションを学ぶモード学園を卒業していますが、入学前は真剣に競輪選手を目指し、競輪学校への入学を予定していたそうです。
ケガを原因に競輪の世界に進むことを断念し、もともと自分を表現することへの興味から、さまざまな要素を融合させて表現できるファッションの魅力に惹かれてモード学園に入学しました。
モード学園を卒業後は、日本のファッションブランドとして有名なイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)に入社します。発想力を養われたというイッセイミヤケでの5年間の勤務後、モノ作りについて学びたいという思いから、他社ブランドのアイテムを製造するOMEに転職しました。
さらに、イッセイミヤケ時代の上司による、レディースブランドの立ち上げに参画します。こうしてファッションビジネスについて学んだことを糧に独立を決意し、アタッチメントをスタートさせました。
熊谷は服作りへのこだわりとして、服は着る人の人間性や本来持っている内面の魅力を引き出すための、付属品の位置にあるべきと語っています。付属品という意味を持つブランド名のアタッチメントには、このような熊谷の考えが生きています。
また、熊谷の服作りにおいてずっと変わらないのは、ファッションの要素だけでなくアートや音楽、ヨーロッパやアメリカなどさまざまなカルチャーが融合されているということです。これまでの経験で培ってきた全てのノウハウが駆使されることで、アタッチメントのアイテムが生まれているのでしょう。
昔から表現することに興味のあった熊谷は、ファッション以外の表現がしたいという思いから、写真集の作成も行っています。
さらに、作ったものをビジュアル化する面白さに惹かれて、ショー形式のコレクションをスタートさせました。このように服作り以外においてもさまざまな挑戦を続けている熊谷は、服作りを続ける理由として、「これしかない」と話しています。
少年時代の自分にはやりたいことがたくさんあったかもしれないが最終的には服作りしかなく、これしかないと思える服作りを一生懸命、一生やると決めていると語っています。アタッチメントを世界のブランドと戦えるものに成長させていきたいと話す熊谷は、今後の展開について、厳しい時代にあるアパレル業界でも光を放てるもの、夢があるものを作る挑戦を続けていきたいと語りました。