バレンシアガ(BALENCIAGA)は、フランスのラグジュアリーブランドです。
バレンシアガの始まり
バレンシアガの創業は、1915年にクリストバルバレンシアガ(Cristóbal Balenciaga Eizaguirre)が、スペインにオートクチュールハウスを始めたことから始まります。
クリストルバレンシアガは、針子であった母親から婦人服の仕立てを学び、12歳の時にはすでに洋裁師の見習いとして働き始めています。
その時に顧客となった、カーサトーレス伯爵夫人の援助を受け、独立するに至りました。クリストルバレンシアガは初め、スーツをリメイクした服から才能が認められ、そのデザインはパリで高い評価を受けるように。
1933年にはマドリード、1935年にはバルセロナに次々と新店舗をオープンし、王室も顧客となるほど、スペインのファッション界を、リードする存在になっていきます。
革命を起こした初のパリコレクション
しかし、スペインの内戦の影響でパリへ渡ることになり、パリのジョルジュ・サンク通りに店を構えることに。ここで初のパリコレクションを開き、これがバレンシアガにとっての大きな転機になりました。
パリのバイヤーから一気に注目を浴び、大きな話題を呼ぶことになったのです。
バレンシアガは、ウエストラインのない「バレル・ルック」、シンプリシティを追求した「サック・ドレス」など、体型を気にせずに着られる、ゆったりとした服を作りました。
当時は、コルセットで腰回りを固め、お手伝いさんを雇わないと着ることができないほど、ぴったりとして体のラインがはっきりわかるような服が美しいと言われていたので、それは大きな革新でした。
完璧主義者なデザイナー
最初のアトリエの住所であった「ル・ディス」と名付けた香水を1955年に発表し、オートクチュール同様に、高い評価を得ています。
クリストルバレンシアガは、ココシャネル(Coco Chanel)より「本当のクチュリエは彼だけだ」と言われるほどのセンスと技術力のある人物でした。
それと同時に完璧主義者でもあり、1日に120回の仮縫いをこなして、服だけに留まらず小物まで自分の手で仕立てるほど。
そんな完璧主義者の彼は、ある時アメリカの最先端の技術を見学するため、プレタボルテの工場に足を運びましたが、機械では自分の納得できるものは作れないと確信。
機械化を断念したため、ビジネスの拡大という点では後手を踏んでいました。それでも超一流の服を作り続け、他のブランドと並ぶほどの売り上げをあげていたというので驚きです。
1968年、クリストルバレンシアガ73歳の年に、民衆が起こした反体制運動の影響などを受け、パリとバルセロナの店舗を閉鎖。「贅沢は不可能になった」とデザイナーを引退し、77歳にて亡くなりました。