バレンシアガの閉鎖
フランスの高級ブランドであるバレンシアガ(BALENCIAGA)は、クリストバル・バレンシアガが74歳で引退し、77歳で死去したことで、全ての店舗を閉鎖することになりました。
この、バレンシアガの閉鎖は、ファッション業界で大きなインパクトのあるもので、ショックで2日間部屋に閉じこもって寝込んでしまう人も出るほど大きな出来事でした。
その後バレンシアガは、クリストバル・バレンシアガの甥であった人物に所有されることに。1986年までは、香水のみのブランドとして存続し、1987年にプレタポルテが復活しました。
1992年からはジョセフュス・メルキオール・ティミスター(Josephus Melchior Thimister)がデザイナーとなりますが、評価は下がり、バレンシアガの栄光は凋落していきます。
救世主 ニコラ・ジェスキエール
その危機を救ったのが若きデザイナーのニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)でした。
南フランスのプロヴァンスで生まれた彼は、学生時代からアニエスベー(Agnes b)などで働き、卒業と共にジャンポール・ゴルチエ(Jean-Paul GAULTIER)の元に就き、様々な場所でトップデザイナーを務めています。
現在はマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)の後任として、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のアーティスティック・ディレクターを務めるほどの人物。
バレンシアガの復活
そんなニコラ・ジェスキエールは、1998年春夏のデビューコレクションにて、新生バレンシアガを人々に強烈に印象付けます。
2000年には「アバンギャルド・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」、2001年には「インター・ナショナル・デザイン・アワード」「ウーマンズ・ウェア・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、高評価を受け、見事バレンシアガのブランドを復活させました。
その才能とブランド価値に目を付けたグッチのブランドが、バレンシアガを2001年に買収。事業拡大を目指し世界の主な首都に旗艦店を出していきます。
2001年にはバッグと靴、2002年にはメンズラインにまで展開を広げていきました。
2009年には、ニコラ・ジェスキエールによる初のフレグランスである「バレンシアガ・パリ」を発表し、2011年にバレンシアガ パリ レッソンス」、2013年に「フローラボタニカ」と展開しています。
2013年にはニコラ・ジェスキエールが、バレンシアガのデザイナーを辞任。
デムナ・ヴァザリアの就任
2016年には、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)がアーティスティック・ディレクターとなり、初シーズンとなる秋冬コレクションにおいて、建築的要素を取り入れた、芸術性の高い作品を発表。
1世紀に及ぶバレンシアガの歴史を、再解釈し、さらにモダンな要素を取り入れたコレクションが注目されており、これからのバレンシアガに期待する声が高まっています。