ドイツのブランド、ビルケンシュトック(BIRKENSTOCK)は日本ではサンダルのイメージが強いですが、元々は中敷きを専門としていました。 その歴史は、1774年に創始者ヨハン・アダム・ビルケンシュトック(Johann Adam Birkenstock)が「臣王の靴職人」と登録されたことに始まります。 1896年にヨハン・アダムの子孫でシューマイスターであるコンラッド・ビルケンシュトックがフランクフルトに靴専門店を2軒オープンしました。このとき、フッドベッドと呼ばれる中敷きの製造・販売を始めたとされています。 その後15年もの間、コンラッドはドイツ各地やオーストリアで職人などを対象に講習を行い、フッドベッドの入った自身の靴のライセンス契約を勝ち取ります。 1913年に入店したコンラッドの長男カールは整形外科医でもあったため、フッドベッドを医学的に理論付けし、その進化に貢献します。コンラッドは戦中の1915年、フランクフルトの野戦病院で負傷兵のための靴を製作しますが、その靴が医学博士に認められ、普及の手助けとなりました。 1925年になるとコンラッド・ジュニアが入社し、ヘッセン州フリードベルグの工場を拡充させ、ブルーフットベッドを24時間製造できるようになります。そしてオーストリア、デンマーク、フランス、イタリア、スイスなど11か国に出荷するようになりました。 1932年に始まった「ビルケンシュトック講習会」では5,000人以上の専門家が受講し、多くの医師やリハビリ師の支持や推薦を受けます。1947年に発刊された専門書「ビルケンシュトック足の医療法」は、14000冊を発行し、その発行部数は当時の医学書部門としてはトップを誇りました。 1954年、コンラッド・ジュニアの息子、カールが入社すると、サンダルの開発に着手し始めます。そして1963年にはファーストモデル、マドリッド(MADRID)が誕生しました。 1966年、色を利用した足の測定法を開発し、ドイツ国内だけでなくアメリカやヨーロッパ全土に普及します。こうして、ビルケンシュトックは世界的ブランドメーカーとして認識されることになるのです。 1973年になると自動裁断機が投入され、これにより全モデル・全サイズのカッティングを統一できるようになりました。また、この年にはアリゾナ(ARIZONA)も誕生し、1978年には ボストン(BOSTON)が誕生します。 1980年になるとコンピューター制御の裁断機が投入され、同時に4つの型の裁断が可能になりました。 1983年、「足の入門書」が初版36万部で発刊され、日本にも上陸します。 1984年、カールの次男アレックスが入社し、巨大な倉庫が完成したことで即日発送が可能になりました。 1985年、新素材「ビルコセル(Birko-Zell)」が開発され、1986年には運動靴専用ソールの販売を開始します。 1987年、2種類の広さでサイズ50までの提供を開始しました。 1988年、カールの三男のクリスチャンが入社し、環境保護のため溶剤の入っていない接着剤を使用するようになります。 1989年、アルサ社を買収し、アスバッハの工場でソールをメインに生産し始めました。

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