世界的帽子ブランドの「ボルサリーノ(Borsalino)」は、イタリアで誕生しました。
フランスでの修行
1834年イタリアの北側に位置するピエモンテ州のアレッサンドリア近郊の町で生まれたジュセッペ・ボルサリーノ(Giuseppe Borsalino)は、14歳で地元の帽子工場で見習いとして働きます。こ
こで帽子の基礎や技術を学び、さらに大きな場で学びたいと考えるようになります。
当時の帽子文化の最先端を走っていたイギリス、帽子を作る技術などに長けていたのはフランスでした。ジュセッペ・ボルサリーノは技術の習得に重きを置き、フランスに修行へ行くことを決意します。
ボルサリーノの始まり
数年間の間フランスで帽子の製造に携わり、23歳の時にイタリアへ帰国し地元アレッサンドリアに自身の名前を付けた工房を構えました。
始業した工房には、10人の職人を雇い小規模の帽子製造からスタートします。
当時イタリアは帽子の製造・技術にいては他国より後進の国、ジュセッペ・ボルサリーノは小さく・少人数の工房であってもフランスで学んだ確かな技術を元に、確かな品質を大切にした帽子製造を行いました。
1861年、工房を作ってから4年後には10人だった職人の数は60人に増え、1日120個の帽子を製造するまでに成長し、社名を「ボルサリーノ・ジュゼッペ・エ・フラテッロ」と変更します。
人員を拡大し、製造が増産した工房ですが効率は重要視せず、最上級の素材や機械を取り入れ、高品質の維持に徹したジュセッペ・ボルサリーノの信念は現在にも通ずるボルサリーノの基礎となり息づいています。
高級帽子店へ
1897年、ジュセッペ・ボルサリーノ63歳の時に息子であるテレジオ・ボルサリーノ(Therresio Borsalino)に経営を譲り渡し、現役を引退しました。
1900年パリで開催された万国博覧会にて、ボルサリーノの帽子はグランプリに輝きます。この受賞によりロイヤルファミリーからの受注が増え、高級帽子店として世界に広まっていくことになります。
ボルサリーノの転機となったパリ万国博覧会の年、創業者であるジュセッペ・ボルサリーノは生涯の幕を閉じています。
世界から注目を集め始めた1900年には、工房に働く職人の数は1000人を超え、年間に75万もの帽子を生産する大きな会社となったのです。75万個のうち45万個は海外用に販売される帽子で、息子テレジオ・ボルサリーノの経営も順調に進んでいました。
「ポーラ」の大ヒット
これまでボルサリーノが作っていたハード系の帽子から、1900年代に入りフェルトを使用したソフトな帽子が人気を集めます。これまでのデザインを一新し、これまでの技術を活かしつつ、オリジナリティを出した帽子を販売していきます。
その帽子の中の1つに“ポーラ”と呼ばれる硬めのフェルトでドーム型にデザインされた帽子があります。このポーラが、第一次世界大戦から、第二次世界大戦の時期にロンドンを中心にビジネスマンに愛用され、年間7000個も売れる人気帽子となりました。
1940年代半ばにはポーラのトップ部分を凹ませた“センタークリース”が登場します。このセンタークリースは、今日のボルサリーノ帽子の原型といわれ、世界中に愛される帽子となります。
この時期、戦争により一時閉鎖されていた工房も戦後すぐに再会をされ、創業者ジュセッペ・ボルサリーノの孫にあたるテレジオ・ウェスリ(Therresio Wesle)が経営を引き継ぎました。
映画「ボルサリーノ」
ボルサリーノの知名度を更に加速させたのが、1970年に公開されたその名も「ボルサリーノ」という映画です。この映画で重要な小道具として帽子が使われ、ファンを増やしました。日本もこの映画の影響を受け、ボルサリーノの帽子を求める人が急増しました。