「レップタイ」の旋風
1902年、ブルックスブラザーズ(Brooks Brothers )はファッション界に大きなトレンドを確立します。それは、レップタイです。
斜めの縞模様のこのネクタイは、イギリスのクラブや軍隊のネクタイをヒントにして縞の方向を逆にし、米国風へとアレンジしました。
発表と同時にすぐさま定番となったこの商品は1950年代に入ると、アイビールック、ブルックスブラザーズと同義語になるくらい広く認知されます。
シェトランドセーター
1904年にはブルックスブラザーズのコレクションにシェトランドセーターが仲間入りします。
もとはシェトランド諸島の農民による手作りのセーターでしたが、ブルックスブラザーズが取り入れることにより、洗練さが加わり、アメリカンクラッシックのアイテムとして世界中に受け入れられることになりました。
1915年、ブルックスブラザーズはマディソン街346番地に移転します。
この地はエール大学やハーバード大学のクラブやニューヨークヨットクラブなど、当時のアメリカで有名な社会組織に好まれた地域でした。今現在もこの地には10階建てのブルックスブラザーズの本店があり、世界中の人々が足を運んでいます。
マドラスチェックの紹介
1920年、ブルックスブラザーズは今や定番となった、インドのマドラスチェックを初めてアメリカに紹介しました。
上品でありながらもカジュアルテイストを感じさせるマドラスチェックを水着やジャケット、ズボンの形でアメリカのバイヤーたちへと提案すると即座にファッションとして取り入れられることとなりました。
大流行したボタンダウンシャツ
1949年、ファッション誌「ヴォーグ」の表紙に、ブルックスブラザーズの男性用のピンクボタンダウンシャツを着用した女性が掲載されました。
それを見たおしゃれに敏感な女性たちは、同じシャツを求めて店舗に殺到します。一夜にしてブルックスブラザーズのボタンダウンシャツが大流行を巻き起こします。
アーガイル柄のソックス
同年、ブルックスブラザーズの社長ジョン・クラーク・ウッドがあるゴルファーの足元に注目します。彼が穿いていたソックスが人目を引く手編みの模様だったのです。
彼は即座にそのゴルファーから手編みのパターンを借り受けて、商品として発売しました。こうしてブルックスブラザーズはアメリカで初めてアーガイル柄のソックスを取り扱ったのでした。
1965年、ブルックスブラザーズはウィンストン・チャーチルやフレッド・アステアなどの靴を特注で製造していたイギリスの著名な企業、ピール社の廃業に伴い、同社の靴型やパターン、商標を買い取りました。
また1969年に入るとボストンやシカゴ、サンフランシスコ、ワシントンDCなど、10店舗を構えて新規店舗を拡張しました。ここから、ブルックスブラザーズの国外進出が本格的に始まります。