カルティエの始まり
カルティエ(Cartier)は、1847年にフランスで創設されたジュエリーと高級腕時計のブランドです。
カルティエの創設者である、ルイ=フランソワ・カルティエ(Louis-Francois Cartier)は、1819年に誕生しました。
その後、宝石商となりアドルフピカール(Adolf Picard)のもとで学んだルイ=フランソワ・カルティエは、1847年28歳のときにピカールからジュエリー工房を受け継ぎ、この時からカルティエの歴史は始まりました。
大繁栄
貴族や王族などの寵愛を一身に受け、工房は華やかに繁栄していきました。イギリス国王、エドワード7世(Edward VII)が残した「宝石商の王(King of jewelers)」という言葉が当時の繁栄ぶりを物語っています。
その後、1872年に息子のアルフレッド(Alfred)、1898年に孫のルイ(Louis)、ピエール(Pierre)、ジャック(Jack)を事業パートナーとして迎え、経営は受け継がれていきました。
1898年に経営をまかされたルイ・カルティエがカルティエの骨格を作っていく人物となります。
1899年に、パリのル・ラぺ通りにアトリエを移転。パリを拠点として、影響力を広め格調高く、国際色豊かなカルティエは世界中の人をどんどん魅了し、世界的名声を確立していきました。
1904年、創設者であるルイ=フランソワ・カルティエが死去。
男性用腕時計の開発
同じ1904年、ルイ・カルティエによってカルティエ初の男性用腕時計が開発されました。当時は、携帯用と言えば懐中時計が一般的でした。
それに不便を感じていた友人のブラジル人飛行士、アルベルト・サントス・デュモン(Alberto Santos-Dumont)から、「飛行中に操縦桿から手を離さないでも見ることができる時計を作ってほしい」と頼まれたルイは、5年の歳月をかけて飾りのないシンプルなレザーストラップ腕時計を制作しました。
1909年、1902年に出店したロンドン支店をイギリスのニューボンドストリートに移転しました。
インドとの密接な関係
数年後、ジャックがカルティエロンドンの経営を担うようになり、彼は裕福な実業家だけでなく、栄華を極めるインドの王子たちとの絆も深めていきました。
カルティエの独創的なスタイルに魅了されたマハラジャ(王)は、所有していた数多くの宝石をカルティエに託し、カルティエはそれを最高に美しいパリュールに仕立てました。
こうしてインドとの刺激に満ちた交流が始まり1911年この地に拠点を構えます。
ルイ・カルティエの死
ロンドン支店移転と同じ、1909年ピエールはニューヨーク店を指揮するためにアメリカへ渡りました。
アメリカの顧客には裕福な実業家や銀行家に加え、ハリウッド、ブロードウェイ、無声映画など数多くのスターがおり、カルティエは彼らのような才能に満ち溢れた人々も虜にしていきました。
1920年代から1930年代、戦争の影響を受けつつも順調に発展して続けたカルティエですが、1942年、カルティエの骨格を作り発展させてきた、ルイ・カルティエがこの世を去りました。
カルティエの一つの時代が終わった瞬間でもありました。