クリスチャン ラクロワとは
クリスチャン ラクロワ(Christian Lacroix)とは、デザイナーを務めるクリスチャン・ラクロワが自身の名を冠して1987年に設立されたブランドです。
ブランド設立には、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(Moet Hennessy Louis Vuitton、通称LVMH)の会長を務めるベルナール・アルノー(Bernard Arnault)がクリスチャン・ラクロワの才能を認め、ブランド設立の出資を行いました。イヴ サンローラン(Yves Saint Laurent)以来となるオートクチュールメゾンを作る為に彼が抜擢されました。
彼が選ばれたのは、彼が持つ才能に理由があります。
クリスチャン・ラクロワは、モンペリ工業大学を卒業後、1973年に美術館の学芸員なる為に、パリへ移住をします。移住先であるパリでソルボンヌ大学のエコール・デュ・ルーブルで美術を学び後、卒業します。在学中に、現在の妻であるフランソワーズ・ローゼンティール(Françoise Rosenthiel)と出会い、彼女にファッショの世界を勧められます。1978年にエルメス(HERMÈS)に入社し、アクセサリーのデザインを手掛けます。1980年にはギ・ポランのアシスタントを務め、クチュールブランドとして有名なジャン パトゥ(Jean Patou、現在のパトゥ)のオートクチュールのチーフデザイナーに就任しました。
ジャン パトゥでの活躍が認められ、1987年に開催されたアメリカで最も活躍するファッションデザイナーを表彰するCFDA(Council of Fashion Designers of America)で最優秀外国人デザイナー賞を受賞し、同年には名だたるデザイナーが受賞しているフランスのデ・ドール賞を受賞しました。受賞をきっかけに彼が持つクリエイティビティにファッション業界の人々は注目を集める様になり、ベルナール・アルノーもその一人でした。
1987年にプレポルテコレクションを発表以降、1990年にブランドの代名詞となる香水 セラヴィ(C'est la vie)を発表しました。そして、1994年にバサール(BAZAR)を発表します。ジーンズ・ド・クリスチャン ラクロワを発表するも人気は低迷し、2005年からLVMHの傘下から外れ、2009年にはブランドに幕を閉じました。
クリスチャン ラクロワが作り出すアートワーク
ブランドに幕を閉じてもなお、彼が作り出すアートワークの評価は極めて高いです。過去に作成したアーカイブドレスは、2010年にパリ装飾美術に寄贈され、2013年には20世紀で最も影響を与えたデザイナーの一人として称されるエルザ スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)にゲストデザイナーとして参加し、15点のオートクチュールをデザインしました。
クチュリエを終えた後も活躍の場を広げ、美術館や衣装デザインを手掛けています。
クリスチャン・ラクロワの最近の動向
ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)の2020年春夏コレクションでゲストデザイナーに迎えられ、共同で作り上げたコレクションは大きな話題を呼びました。全盛期と変わる事のないクリスチャン・ラクロワが得意とするパターンを使用しつつ、色彩豊かなカラーを豊富に使用したアイテムは、シルエットとカラーリングを絶妙なバランスで表現しました。
今後も突如としてランウェインに参加したりと、ファッション業界を騒がせる存在です。