クロムハーツの聖地
日本で初めてクロムハーツの正規代理店が登場したのは、1990年のこと。岩手県盛岡市にあるセレクトショップ、「ガルフ インテレクチュアルギャラリー」(GALF Intellectual Gallery)でした。岩手県というロケーションでありながらも、商品のラインナップはニューヨーク店に続いて世界第2位、もちろん国内ではトップの取扱いを誇り、当時は「クロムハーツの聖地」とも呼ばれて、足繁く通う芸能人も多かったといいます。また、リペアは無料、カスタムも自由にできるショップとして有名でした。
コムデギャルソンの参画
そして1991年には、コムデギャルソン(COMME des GARCONS)青山が一時的に代理店となってクロムハーツを紹介。その時にリチャード・スタークは、パリで開催されたコムデギャルソンオムプリュスの1991年春夏コレクションショーにも出演しています。また、感謝の意を表して、ギャルソンのシャツのボタンをクロムハーツのシルバーボタンに付け替えるなどの他、タグに書かれた「COMME des GARCONS」の文字を「CHROME des GARCONS」に書き換えるというウィットも披露したそうです。
ユナイテッドアローズとの契約
さらにその翌年、1992年には国内有数のセレクトショップ、ユナイテッドアローズが正式に取扱いをスタート。1997年には実験店として、国内初のクロムハーツ専門のショップをユナイテッドアローズ原宿本店前にオープンします。その時のショップ名が「UTICA」(ユティカ)、リチャード・スタークの生まれ故郷の名前であったことは、クロムハーツにとって重要な実験店であったことを物語っています。
その後は、1999年12月にはクロムハーツ東京「CHROME HEARTS TOKYO」が南青山に、2001年には実験店であった「UTICA」が「CHROME HEARTS HARAJUKU」としてリニューアルされた他、大阪店「CHROME HEARTS OSAKA」もオープン。2008年には名古屋店「CHROME HEARTS NAGOYA」、福岡店「CHROME HEARTS FUKUOKA」がオープンした他、実験店「UTICA」を除けば日本初のクロムハーツ専門店であったクロムハーツ東京が、大々的にリニューアルされました。
このリニューアルでは「at home -家のように感じられる店-」をコンセプトとして、インテリアや什器が一新されただけでなく、2階では世界初となる「クロムハーツの住空間」を提案。実際にリビングやダイニング、ベッドルーム、バス、トイレなどの空間を作り出しました。
その後もさらに、2010年には銀座店「CHROME HEARTS GINZA」、2011年に神戸店「CHROME HEARTS KOBE」、2013年に梅田店「CHROME HEARTS UMEDA」、2014年に福岡店「CHROME HEARTS FUKUOKA」がオープン(旧CHROME HEARTS FUKUOKAはCHROME HEARTS HAKATA DAIMARUに改名)、その店舗数を拡大しています。
聖地の終焉
ユナイテッドアローズとの事業拡大が続いたその一方で、日本初のクロムハーツ正規代理店であったインテレクチュアルギャラリーは、2012年をもって契約を解除、取扱いを終了しています。現在は、リチャード・スタークと伊藤忠商事の共同出資によって設立されたクロムハーツジャパン有限会社が、アジア(香港を除く)でのクロムハーツ商標権を持っており、日本国内においては、ユナイテッドアローズが唯一の正規代理店となっています。
ユナイテッドアローズとの決別
長きに渡って二人三脚で歩んできたクロムハーツとユナイテッドアローズですが、最新情報では、ユナイテッドアローズがクロムハーツ事業を創業者であるリチャード・スタークに完全譲渡することが報じられています。どのような理由によるものかは発表されていませんが、ユナイテッドアローズの取締役社長が代表を務める新会社「CHROME HEARTS JP 合同会社」を設立し、2016年10月1日付けで簡易吸収分割によってクロムハーツ事業の権利を同会社に継承。そしてその会社から複数回に分割して、リチャード・スタークが運営する「CH Holding Company」へと譲渡されることとなりました。これは、1999年に締結したライセンズ契約が2016年9月いっぱいで満了するタイミングに合わせて行われるもので、2024年12月末までに段階的に進められるとされています。
これによって、日本国内で正式にクロムハーツを取り扱う代理店はなくなることになり、今後の日本での展開は、クロムハーツファンの注目するところとなるでしょう。