ダイアンフォンファステンバーグ (DIANE von FURSTENBERG)は、1972年にアメリカのニューヨークで生まれたファッションブランドです。
母の影響
その創立者であるダイアンフォンファステンバーグはベルギーのブルッセルで生まれ、ユダヤ系の家系で育ちました。育てられる中で、恐怖に屈することなくその恐怖との付き合い方を、母がダイアンに教えてくれたといいます。
母から受け継いだ芯の強さと努力が実を結んで、進学先のジュネーブ大学では運命の人となる、イーゴンフォンファステンバーグ(von FURSTENBERG)と出会うのです。
しかしドイツ王室の血を引くプリンスとの恋はヨーロッパで認められず、22歳の時に渡米しそのまま結婚。その後、二人の子どもにも恵まれます。
ラップドレスの大流行
1972年にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1973年のコレクションで発表した、幾何学模様のニットジャージー素材のラップドレスが、ニューヨークを中心に大流行しました。
体に巻きつけるようにして身に纏うワンピースは、自由な女性の象徴として人気を博し、社会現象を巻き起こします。ニューズウィーク誌(Newsweek)は「ココ・シャネル以来、最も成功した女性」とダイアンを賞賛しました。
約500万着を売り上げたラップドレスは、ファッション業界に大きな影響を与え、世界中の女性に愛されるブランドの代名詞的な存在となりました。
しかし1980年代にはラップドレスの流行が終わり、ダイアンはニューヨークからフランス・パリに移住。その間、スタイル系の雑誌を立ち上げるなど、様々なビジネスに携わりました。
ブランドの再注目
その後ダイアンは、1990年代後半にニューヨークのファッション界に劇的な復帰を果たします。
オスカー授賞式にハリウッド女優やアーティストがダイアンのラップドレスを着用して登場したことが話題となり、ダイアンフォンファステンバーグは再注目されるようになりました。
影響力の強い女性として
2005年にはダイアンの長年の功績やファッション業界に与えた影響が認められ、アメリカのファッションデザイナー評議会であるCFDA(The Council of Fashion Designers of America)から表彰されます。
翌2006年にはCFDAの会長に就任。チャリティー運動に参加するなどダイアンの活躍の場は政界にも展開を見せています。
自らの成功に満足することなく、その成功をさらに前進するためのパワーに繋げているダイアン。その行動力はファッション業界に留まらず、様々な分野に発展しています。これからも世の女性にとパワーを与え続けてくれることでしょう。