1925年FENDIはアドーレ・フェンディ(Adore Fendi)夫妻が革製品を取り扱うお店として創業スタートしました。“偉大なる母”と呼ばれるアドーレ・フェンディの魂は、子や孫、ひ孫まで継承され現在に至ります。
創業者「アドーレ・フェンディ」は1925年に夫と共に革製品点を設立したことから始まりました。当時ハリウッドで毛皮の襟巻が流行っていたことから、毛皮のコートの製作に着手したことがきっかけで、FENDIの名はたちまち広がっていきました。彼女たちの製作手法は馬具職人から受け継いだ手法を使い、上品さと丈夫さをもつアイテムを輩出していきます。その後5人の娘のうち、長女パオラがフェンディの仕事を手伝うようになり、その後他の4人の娘も同じ道を進むことになります。
モード界の巨匠「カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)」が1965年毛皮コートのデザイナーとして入社。彼は1938年ドイツ、ハンブルク出身で、父が乳製品事業をしており、裕福な家庭に産まれました。幼いころから絵の才能に満ちあふれていたカール・ラガーフェルドは洋裁学校へ通い服作りの勉強をするため14歳でパリに移住。洋裁学校でには同時期イブサンローランの姿も。学生時代国際コンクールでも優勝したカール・ラガーフェルドはクロエ(Chloe)を経て27歳の時主任デザイナーとして就任。その後、クラシカルな毛皮のコートを斬新な切り口の革新的なデザインを考案。重ね織りやエナメル加工など、今までなかったデザインに世間から注目されるようになりました。
就任後には毛皮のプレタポルタを発表し、「ズッカ柄」を浸透させました。現在ではFENDIレディース部門を担当しながら、自身のブランド「カール・ラガーフェルド」を設立し、「CHANEL」のデザイナー・写真家としても活躍しています。またマイアミの人気建築チームの“オッペンハウス”とKORホテルと共同でドバイ周辺に人工島を企画中です。普通では考えられないセンスでファッション以外からのラブコールも多く、「シュウエムラ」とのコラボレーションなども引き受けています。座右の名「大きな台風も、いつか消える」まさに長年FENDIの歴史と共に歩んだカール・ラガーフェルドの名言といえます。
アドーレ・フェンディの孫「シルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディ(Silvia Venturini FENDI)」は「バゲット」の製作を手掛けた人物。販売から約20年経つ「バゲット」ですが、バリエーションは1000を超え、何度もリバイバルヒットを重ねているFENDIのアイコンバッグです。1992年に事業参加後、数々のアワードを受賞しています。また現在ではメンズ部門を手掛けています。
そんなシルヴィア・フェンディの娘「デルフィナ・デレトレズ・フェンディ(Delfina Delettrez Fendi)」もまた創業者一族の4代目として、ジュエリーデザイナーとして専属しています。2010年最年少で「アーツ・デコラティーフ展」に選出され、勢いに乗ったジュエラーとなっています。
FENDIは創業から女性経営が約1世紀も続いています。経営もクリエイションも一手にやってのけるFENDIを世界でも随一の女系ブランドに成長しています。女性目線を忘れない、「可愛いさ」「茶目っ気」「豪華さ」はそんなフェンディ一族とカール・ラガーフェルドを筆頭に創業者の思いが受け継がれています。