1925年、アドーレ・フェンディ(Adore Fendi)とエドアルド・フェンディ(Edouard Fendi)夫婦がイタリア、ローマに小さな革製品の店をオープンさせたことがブランド「FENDI」の始まりです。その当時、アメリカ、ハリウッドで一世風靡していた毛皮の襟巻に焦点を当て、FENDIでも売り出したところ、瞬くうちに注目を浴びるようになりました。それ以来、FENDIはイタリア人女性の社会的地位を現す象徴として君臨しています。
1946年、フェンディの5人の娘のうち、長女のパオラ(Paola Fendi)が弱冠15歳でFENDIの仲間入りを果たすと、残りの4人の娘達もそれに続き仕事に従事することになりました。アドーレ・フェンディは「偉大なる母」と呼ばれ、娘達にFENDIブランドを受け継ぐことになります。
1965年、クロエ(Chloé)でのデザイナー経験を持つ、ドイツ生まれのカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)に仕事のオファーをします。彼は洋裁学校でイブ・サンローラン(Yves Saint Laurent)とともに学び、学生時代にIWSコンクールのコート部門で優勝するなど、才能に恵まれていたため主任デザイナーとしてFENDIに迎え入れることに尽力を尽くしました。当時カール・ラガーフェルドは弱冠27歳でクラシックな毛皮のイメージをくつがえす技法で世間を賑わせることになります。カール・ラガーフェルドによるエナメル加工やステッチ使いはクリエイティブで機能的な面を持ち合わせ、革新的なデザインと話題になりました。
1969年、毛皮コートのプレタポルテが完成。カール・ラガーフェルトはこのコートに以前1940年代からコートやバッグの裏地に使っていた「ダブルF」の柄を表面に施こすことを提案。この斬新的なアイデアからブラウンの生地にブラックで“F“の文字で有名な「ズッカ柄」が誕生しました。
1970年に入ると、もともとの主力製品の毛皮や革製品に加え、ファッションにも力を入れるようになっていきます。毛皮のコート以外にジェケットやコートなどファッションの幅も増え、悲願のフルラインでの本格的なプレタポルテをスタートさせました。ユニセックスやキッズのファーコレクションを発表したり、1978年には「Mappamond fur(地球儀柄の毛皮)」を発表しました。
1980年代に初の香水を発表。創業開始から1980代までのFENDIは勢いのとどまること知らず突き進んで、次世代に向かって新たな世界を発掘するため発信し続けます。