卓球・テニス界の名プレイヤー フレッドペリー
ポロシャツやモッズコートなど、定番人気商品をいくつも抱えるフレッドペリー(FRED PERRY)の歴史は、1909年から始まりました。
ブランドの創設者であるフレデリック・ジョン・ペリーが生まれたのは、ロンドンオリンピックが開催された翌年の1909年です。
ブランドとしてフレッドペリーを知ったという方も多いでしょうが、卓球の名プレイヤーとして名前を広く知れ渡ったのが最初です。
イングランドの北部、ストックポートという工業都市で誕生したペリーは、生まれながらの才能と努力を持ち合わせていました。弱冠19歳で卓球のチャンピオンになったあとは、テニス界へ転向します。テニスの才能も開花させたペリーは、グランドスラムを史上初で達成したとして、伝説の英雄となりました。
ブランド「フレッドペリー」のはじまり
1940年代後半、惜しまれながらテニス界を引退したペリーは、リストバンドの開発をスタートします。実は一流のテニス選手の顔だけでなく、端麗な容姿とセンスの良さも評価され、ベストドレッサーとしてもペリーは有名でした。
持ち前の努力を発揮したペリーはリストバンドの開発に精進し、軽くて柔らかなリストバンドの商品化を成功させます。当時の彼の愛称「フレッドペリー」をブランド名に、1952年にスポーツウェアとして事業を開始しました。
注目を集めたシャツ
当時ダボダボのシルエットのシャツが溢れていたテニスウェアの中で、フレッドペリーが作る体にぴったりフィットするシャツはすぐに注目されるようになります。
これまでなかったテニスウェアはおしゃれでかっこいいと、多くの人々がフレッドペリーのシャツに憧れました。ブランドのトレードマークである月桂樹は、最高のテニスプレイヤーの称号としてのイメージですでに定着していました。
1960年代、モッズと呼ばれるイギリス発祥の若者文化が、世界中にも大きく影響を与えていた時代でした。当時のモッズのファッションとして、ジーンズにブーツを合わせ、ジャケットのインナーにフレッドペリーのシャツやポロシャツを着るスタイルが大流行します。
充実の機能性を持ち、バリエーション豊富なフレッドペリーのシャツが、大流行の若者文化のニーズに見事にマッチした瞬間でした。
世界規模となるフレッドペリー
ブームは1970年代に入っても形を変えて続いていきます。1976年頃は、サブカルチャーに大きな影響を与えたパンクが流行し始めた時代でした。レザーパンツが街中に増加する中、フラッドペリーのシャツを着用するパンクバンドも多く現れます。
日本に初めてフレッドペリーが登場したのも、1970年代でした。1972年のデビスカップでは、日本代表チームの公式ユニフォームとしてフラッドペリーが採用されます。1976年からは、国際テニス大会としてフレッドペリージャパンオープンを開催するなど、世界規模で活躍の場を広げていきました。