ジョン・ガリアーノ手掛けるジバンシィ
1995年にユーベルト・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)が引退した後、就任したのが、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)でした。
ジョン・ガリアーノは1960年にイギリスの植民地であった、ジブラルタル出身です。ウィルソングラマースクールで学び卒業後は、セントマーチンズのテキストスタイル科に入学し、途中でモード科に移籍しています。
1984年にセントマーチンズの1985年に自身の名前を付けたイギリスファッションブランドを立ち上げており、ロンドンコレクションデビューを果たし、当初デリケートな素材として扱われていたバイアスカットのドレスを発表しました。ドレスとオーダーメイド・スーツは好評を得ることとなりました。
その後は投資者とのデザイン問題によってトラブルを起こしたり、革新的過ぎるデザインは「売れない服」の烙印を押されます。
それでも50年代風の可憐なスタイルとテーラリングというテーラードの技術にこだわりを持ち続けたジョン・ガリアーノは、資金難でコレクションを開くことはできない中でも、手法や想像力を高く評価されたことで、ジバンシィのデザイナーとして大抜擢されました。
アレキサンダーマックイーンの就任
ジョン・ガリアーノの後任として、アレキサンダー・マックイーンが、プレタポルテとオートクチュールの主任デザイナーとして就任しました。
2000年の春夏シーズンからはアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)がメンズラインも手掛けることとなり、ジバンシィは再び最盛期を迎えます。
アレキサンダー・マックイーンに変わってからは、これまでのジバンシィ色は消え、マックイーン色が一層濃くなったため、プレスからの批判を多く受けることとなりました。
アレキサンダー・マックイーン本人も、ジバンシィのデザイナーを引き継いだことは失敗であったという風に語っています。
アレキサンダー・マックイーンは、ジバンシィの自社株の大半にあたる株をグッチグループに売却しました。それを機に、LVMHグループとの関係も悪化することとなり、自身もジバンシィを離れることとなりました。
近年のジバンシィ
2003年にはジバンシィでメンズウエアラインのクリエイティブ・ディレクターを務めていた、オズワルド・ボーテング(Ozwald Boateng)が就任することになり、2005年から2006年の秋冬コレクションより、リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)がレディースウエアのラインのクリエイティブ・ディレクターに就任しました。
現在では、ティッシが、メンズライン、レディースラインの両方を手掛けることになりました。
2008年には、ジバンシィのドレスをワールドツアーでマドンナ・ルイーズ・チッコーネ(Madonna Louise Ciccone)が着用し、再び注目を集めることとなります。