グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)がグッチ(GUCCI)を立ち上げた1921年から盛衰を繰り返しながらブランドの地位を確立させていったGUCCI。
グッチ家における内部抗争や財産問題などのスキャンダルにより、1980年代から90年代前半にかけてGUCCIの高級ブランドとしての地位は低下し、衰退の一途を辿っていました。
一時は倒産の危機にさえ見舞われていたGUCCIを現在の地位にまで返り咲かせた背景には、歴代デザイナーの努力があります。
トム・フォード
1993年、グッチ家が全ての株をアラブ資本に売却し、GUCCIの経営から手をひきました。その翌年から弱冠33歳でクリエイティブ・ディレクターに就任したトム・フォード(TOM FORD)は今のGUCCIを語るのに外せない存在です。
トム・フォードは、1995年のミラノコレクションで大成功を収め、VOGUE最高国際デザイナーなどの数多くの賞を受賞し、GUCCIのブランドの価値を回復させることに尽力します。
GUCCIならではのデザインを継承しながら、時代に合った製品を次々と生産し、また独自のマーケティング及び宣伝方法によって、グッチの大幅な売り上げ向上に努めました。
2001年にはグッチ傘下のイブサンローランのクリエイティブ・ディレクターにも就任し、イブサンローランのブランド向上にも重大な役割を果たすのです。
2004年、GUCCIがフランスのPPRラグジュアリー・グループに買収されたのを機に辞任するまでの10年間でGUCCIを倒産の危機から再びワールドブランドへと押し上げたのは彼の功績といえます。
アレッサンドラ・ファッキネッティとジョン・レイ
トム・フォードがGUCCIを去った2004年、彼の跡を継いだのがアレッサンドラ・ファッキネッティ(ALESSANDRA FACCHINETTI)と、ジョン・レイ(JOHN RAY)でした。
レディースラインのクリエイティブ・ディレクターに就任したアレッサンドラ・ファッキネッティは、2000年からデザインディレクターとしてトム・フォードを裏で支えていました。
しかし、方針の相違を理由にわずか2シーズンで退任することになります。メンズウェアのクリエイティブディレクターを務めたジョン・レイも2006年にはGUCCIを去ります。
フリーダ・ジャンニーニ
フリーダ・ジャンニーニは、2002年にハンドバッグデザインのディレクターに就任しました。その後、アクセサリーラインのクリエイティブディレクターを経て、シューズやジュエリー、時計、バッグなどのデザイナーを統括していきます。
2005年にレディースウェアライン、2006年にメンズウェアラインのクリエイティブディレクターに就任します。
2008年には、「Gucci by GUCCI」という名前のGUCCIで初めてとなる女性用香水をプロデュースしました。2012年、中国で初めてのファッションショーを上海にて開催します。
中国本土では2004年末で4店舗のみの展開だったところを、2011年末には32都市中46店の直営店を展開するまで発展させます。
2014年にはブランド初のカラーコスメも発表しました。また、1966年にうまれた「フローラ」プリントも復活させました。
フリーダ・ジャンニーニは、建築やインテリアなどデザイナーの枠を超えたストアコンセプトを指揮、2015年の辞任まで10年以上に渡りGUCCIを支え続けてきました。