着実な事業拡大

ロベール・デュマ、ジャン・ゲランらの活躍により、着実に事業を拡大していったエルメス。 1935年には、後のケリーバッグとなる「サック・ア・クロア」(sac-a-croire)を発表、1937年からはスカーフの製造に着手します。初めてとなるスカーフの図柄は「オムニバスと白い貴婦人のゲーム」というテーマが付けられていました。

アイコンの由来

その後、第二次世界大戦の影響もあり、事業の縮小を余儀なくされますが、1945年の終戦とともに、立て直しにかかります。現在でも使われている有名な商標、四輪の馬車(デュック)と従者(タイガー)のアイコンが使われるようになったのも、1945年からでした。 そのアイコンの中で主人が描かれていないのには「エルメスは最高のお品物をご用意します。ですが、それを御するのはお客様自身です」という意味が込められています。 同様に、現在もブランドカラーとして定着しているオレンジ色の包装紙も、この頃使われるようになったのがきっかけです。それまでベージュの包装紙を使っていましたが、戦後の物資不足により、残っていたオレンジの紙を使うようになり、ゲランが正式採用して継続利用したのだとか。これが後に言われる「オレンジボックス」の始まりでした。

香水部門の設立

さらに2年後、1947年には、ジャン・ゲランによる香水部門を設立。1951年にはエミール・モーリス・エルメスが亡くなり、跡を継いだのは、次女の婿であったロベール・デュマ・エルメスです。ロベールは、スカーフの製造に注力し「カレ」(Carres)と名付け、1枚1枚に必ずストーリーを設けることで、芸術性を高めました。 その後も、1956年にはモナコ后妃グレース・ケリーが「サック・ア・クロア」で妊娠したお腹を隠していたことから「ケリーバッグ」に改名された他、1961年に若い層をターゲットとした香水部門が独立し、「アマゾン」「パルファム・ド・エルメス」など続々と新作を発表、1973年にはシューズの名門ジョンロブを傘下に収めてエルメス店内に移設、1979年には時計「アルソー」を発売、エルメス時計社を設立して時計部門に参入し、1981年には腕時計「クリッパー」を発表するなど、続々と事業を展開していきました。

後継者としての教育

それと並行してロベール・デュマは、息子であるジャン・ルイ・デュマ(Jean Louis Dumas)に、早くから後継者としての教育を施していました。 上流階級の子供たちと同じ環境で学ばせることで、一流の品格を身に着け、洗練されたセンスを養わせます。その甲斐あって、ジャン・ルイは後継者にふさわしい人物に成長していき、1978年からエルメスの5代目に就任したのでした。
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