ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)のチーフデザイナー、北村信彦は1962年生まれです。東京モード学園で学んだ後に、1984年に株式会社オゾン・コミュニティに入社し、同年ヒステリックグラマーを立ち上げました。
1960年代の後半から80年代前半までのサブカルチャー的アイコンであるロックやコミックなどを、ノスタルジックにアレンジして洋服を作り始めます。
彼は、日本だけにとどまらず、香港やL.A.など海外においても活動の場を広げてきました。そして、ファッションだけではなく、アートとの融合も積極的に試みています。
洋服のみならず、ショップそのものに関わるデザインや、複数のファッションレーベルや写真集をプロデュースするなど、その活躍は多角的です。
森山大道や荒木経惟などの日本を代表する写真家や、テリー・リチャードソン(Terry Richardson)をはじめとする海外のフォトグラファーなど、多くのアーティストと一緒にコラボレーションにも励むことで、自身の感覚をより鍛えることもしています。
1980年、当時高校3年生だった北村信彦は、ニューヨーク系のパンクが好きだったそうです。
レコード探しをして楽しむ他にも、さらば青春の光(Quadrophenia)というひとつの映画をきっかけにして次第にモッズに興味を持っていき、モッズの服をひたすらに探すほどでした。
そして、ヒステリックグラマーを立ち上げて2年目に、初めてニューヨークに行きます。アンディー・ウォーホール(Andy Warhol)が自身のイラストを褒めてくれたできごとや、他ブランドのファッションカタログなどを見て得た自分の気持ちを糧に、ヒステリックグラマーというひとつのブランドを育ててこられたのだと、彼は語ります。
ヒステリックグラマーをスタートさせた時のカジュアルブランドとしてのイメージは、様々な時代のブームを乗り越えながら生き残ってきたことで、独自のイメージにうってかわりました。
北村信彦は、一時的なブームなどに対応して自身が変化することを嫌っており、それが功を奏したようです。
別のことに興味が出たり、新しいことにも挑戦したいという気持ちが出てきたりすることがあっても、「お店やスタッフが思いとどまらせてくれた」と語ります。
信念を持っていくつもの時代をクリアしていけば、洋服がスタンダードとして定着する効果があり、継続してきたからこそブランドに対する評価がなされているということを実感し、自身の励みとなっています。