ブランドの始まり
インコテックス(INCOTEX)は1951年、ヴェニスにて創業されました。創業者は、カルロ・コンパーニョ(Carlo COMPAGNO)です。
当初は、鉄道員や警察などのユニフォームの製造メーカー、カルロ・コンパーニョ・コンフェツィオーニ社として創立されましたが、1970年にはパンツ製造に特化するようになります。創立時は、従業員は20名ほどの小さな会社でした。
1983年には、ロベルト・コンパーニョ、マルツィオ・コンパーニョの兄弟が父親の事業を引き継ぎます。同時に、ハイクオリティなパンツを製造するメーカー、インダストリー・コンフェッツオーニ・テッスリーを設立しました。
この頃には、製造技術の高さやパンツのクオリティの高さが世の評判になっており、中でも素材の丈夫さ、縫製技術の高さ、細かい部分にまで行き届いた配慮が注目を集め、他のメーカーとは一線を画すようになりました。
こうして、徐々に高級パンツメーカーとしての地位を確立していき、プラダ(PRADA)やバーバリー(BURBERRY)のパンツを手掛けました。
日本初上陸
1991年に、インコテックスのパンツが日本に初上陸し、日本国内に置いてもパンツブランドの名門としての地位を確立します。
上陸当初のインコテックスのパンツは、股上が深めでシルエットはストレート、センタープレスでウール素材という、きっちりとしたスラックスというイメージが強いものでした。
しかし、1995年にノープリーツモデルである036番のモデルが日本国内で本格展開したころからスタイリッシュながらもカジュアルな印象のパンツを展開するようになりました。
ビジネスの広がり
2002年にインダストリー・コンフェッツオーニ・テッスリーはモンテドーロ(MONTEDORO)を買収します。
続いて2003年には、スローウェアグループ(SlowearS.u.r.l)を設立しました。同年、スローウェアグループはザノーネ(ZANONE)を、2005年にはグランス(Glans)を買収します。
愛されるインコテックスのパンツ
2006年、インコテックスは日本人の体型に合うパターンのモデル、J35品番をスタートさせました。このモデルはインコテックスの定番モデルとして、もっとも人気の高いモデルとなります。
2008―2009年秋冬シーズンには、デニムラインのチンクエタスケ(CINQUETASCHE)をスタートさせます。
チンクエタスケは、5つのポケットという意味のイタリア語です。チンクエタスケでは、細身のシルエットのデニムパンツやチノパンがラインアップされています。
2009年春夏シーズンにはインコテックスレッド (INCOTEX RED)をスタートさせました。
ワークやミリタリーの要素を取り入れながらインコテックス独自の技術でシルエットや素晴らしいフィット感を持っているのが特徴です。また、ダメージ加工など、ヴィンテージテイストがあるパンツも発表しています。