独学でファッションを学ぶ
ジャンポールゴルチエ(Jean Paul Gaultier)は、1954年4月にパリ郊外で、会計士である両親のもとに生まれました。
若いときからデザイナーを志していたものの、ファッションの学校へは行かず、お針子をしていた祖母から洋裁を学び、独学でファッションの勉強に励みます。
豊富な経験
自らデザインのスケッチ画を描き、既に活躍しているデザイナーたちにデザインを送り続ける苦労人の一面も持ちます。そのことがご縁となり、1970年にピエール・カルダンに才能を見出され、メゾンに出入りするようになります。
そして、ピエール・カルダンの下でアシスタントとして働くようになります。その後、ジャック・エステルの下でも働き、翌年には、ジャン・パトゥのアシスタントに大抜擢され、クチュールでの経験を積み重ねていくのでした。
ジャンポールゴルチエのスタート
1976年には、ジャンポールゴルチエ自身の初めてのアクセサリーコレクションであるジャンポールゴルチェ(Jean Paul GAULTIER)を発表し、翌年には、自らの名前を冠したプレタポルテコレクションで、デビューを果たします。
1977年3月には、オンワード樫山が経営を行っていたヴィアバスストップ(Via Bus Stop)の専属デザイナーに応募します。そして、ヴィアバスストップの女性店長の強い推薦により、オンワード樫山の馬場彰社長自らが、採用を決定します。
1978年、晴れてオンワード樫山とスティリスト契約を結ぶことで独立を果たし、ジャンポールゴルチェ社を設立します。その9年後の1987年に、第二回オスカー・ドゥ・ラ・モードを受賞し、ジャンポールゴルチェの世界観を広く知られることとなるのです。
エルメスからの抜擢
1997年の春夏コレクションでオートクチュールコレクションを発表し、成功を収めたことで、エルメスのデザイナーに抜擢されます。
1981年、ジャンポールゴルチエはオンワード樫山とライセンス契約を交わします。2004年と2005年の秋冬コレクションからはエルメスのレディースプレタポルテのデザインを兼任し、デザイナーとしての才能を広げていくのでした。
デザイナーとしての高い地位
また、1990年代からは、マドンナのワールドツアーの衣装や、アメリカのロックバンドであるマリリン・マンソンのステージ衣装を手掛け、世界でも通用するトップデザイナーであることを実証してみせたのです。
また、「フィフスエレメント」や「バッド・エデュケーション」など映画衣装のデザインを担当し、異分野での活躍と、モードの世界との相乗効果により、トップデザイナーとしての地位を確立しています。