こだわりのニットウェアブランド
ジョンスメドレー(John Smedley)は、1784年にイギリスで創業し、ブランド名ともなっているジョンスメドレー(John Smedley)と、ピーターナイチンゲール(Peter Nightingale)が共同の創立者となっています。
ニットウェアが主流で、その品質の高さが評価され、世界に名を知られているブランドです。
イギリスのダービーシャー州、リーミルズにその工場を構え、小川に程近いその立地は、工場の動力と一定の流水が手に入るという点で、とても理想的な場所です。創業当初は、綿花の紡績とそれを使用した生地造りが主流となっていました。
ジョンスメドレーは徐々にその事業を拡大していき、生地造りのみならず、編み物や靴下などの製造も手がけるようになります。
この頃には、共同創立者であるピーターナイチンゲールは、会社の資産を保有はしていたものの、実質的な経営や運営は、ジョン
スメドレーが単独で行うようになっていました。
ジョンスメドレー2世
事業の経営は順調に進み、ジョンスメドレーの息子のジョンスメドレー2世(John SmedleyⅡ)(ジョン2世)も、1819年に見習いとして工場で働き始めます。ジョン2世は、6年間工場での修行をしたあと、24歳という若さでジョンスメドレーの経営を引き継ぎました。
ジョン2世は会社の将来を見据え、優れた行動力と知見のもとに、ブランドとしての方針を定め、その方針は200年以上経った今も大切にされています。
ジョンスメドレーの基礎ともなっているその方針は、「製品を製造する全ての工程は一貫して工場内ですること」、「製品の原料は最上級の品質のものを使うこと」という二点になります。
上質の原料を用いて、一貫して自社工場で製造する、という手工業的な姿勢が、ジョンスメドレーの成功の礎となっています。
ジョン2世自身もそうであったように、工場で働く有能な職人たちの子孫にあたる若い世代がその技術を引き継ぎ、工場で働いています。有能な職人たちの力によって、ブランドの伝統は守り続けられています。
ジョン2世は1875年に亡くなりますが、後継者がいなかったため、いとこであるJ.T.マーズデン スメドレー(J.T.Marsden Smedley)(ジョン3世)が受け継ぐことなります。
市場のワールドワイド化
その後、1877年にジョン3世が亡くなると、息子であるジョン.B.マーズデン スメドレー(John.B.Marsden Smedley) (ジョン4世)が後継者となりました。ジョン4世は事業の拡大と近代化に能力を発揮し、最新の編み機を導入したり、製品のラインナップも下着や水着、ナイトウェアへと幅広いものへと展開したりしていきました。
ジョン4世の功績が基盤となって、ジョンスメドレーの上質なニットウェアが海外にも知られるようになり、市場を世界に広げることとなったのです。
ジョンスメドレーの会社は、今現在も創業当時と同じ場所にあり、会社の発展を支えてきた工場の職人や家族と共に、ジョン2世が掲げたジョンスメドレーのものづくりの精神を大切に、伝統を守り続けています。