高田賢三は、ケンゾーを創業した日本のファッションデザイナーです。
これまでにフランス政府からも多くの賞で表彰され、1999年にケンゾーのデザイナーを退いたのちも、クリエーターとして活躍し続けています。
ファッション界への懸念
高田賢三はパリに居住し、半世紀がすぎました。ファッション界の変化に今何を感じるかと問いに対して、高田賢三はファッションというものは変わるものだとは思っているが、特に最近はその変化が早すぎると答えています。
かつては土曜日に行列が見られたお店も、今はそんな様子は見られないようになっており、お店に出向くお客さんが確実に少なくなってきていると感じているそうです。
ヨーロッパやアジアなど、さまざまな国に実際に足を運んでいる中でも、その国や街ならではのファッションというものを見るという楽しみが、なくなってしまったと語っています。
世界のファッションが、どこに行っても同じような服に見えてしまうのが悲しいそうです。
若手デザイナーの環境
そんな高田賢三の目が留まったのは、新進デザイナーの松重健太さんが作った服でした。日本のアイデンティティーを、デザインにうまく落とし込んでいるところが評価できたといいます。
そのような若手が多く誕生する環境を、作らなければいけないなと感じたそうです。
アテネオリンピックでの経験
ケンゾーを退いたのちの高田賢三は、2004年に開催されたアテネオリンピックの日本選手団公式服装を、デザインした経験があります。
2020年の東京オリンピックを間近に控えた今、デザイナーが世界から注目を浴びる機会も増えていくだろうと感じているそうです。高田賢三自身にとっても難しい経験だったユニフォームのデザインは、自身の大きな糧となったと語ります。
夢を持つことの大切さ
高田賢三が若手のデザイナーに望むことは、思い切って大きな夢を持つことだそうです。自分の目的を見失うことなく、夢に向かって努力することに尽力してほしいと語っています。
高田賢三は、セブン&アイとの仕事においても、多くの刺激を受けたそうです。ファッションデザイナーとして、まだまだ新しいことをしていこうという前向きな気持ちを、しっかりともっています。