世界中の女性の憧れが詰まった靴ブランド マノロブラニク(Manolo Blahnik)は、ブランド名と同名であるマノロ・ブラニク(Manolo Blahnik)が1972年に立ち上げたブランドです。
1943年、マノロ・グラニクは当時スペイン領土であったカナリア諸島で誕生します。
マノロ・グラニクは、美術と言語学を学ぶためスイスのジュネーブ大学に入学し、1968年には舞台芸術家を夢見てパリへ拠点を移すことにしました。
1970年に旅行で訪れていたニューヨークで、当時アメリカ版ヴォーグ誌の編集長を担当していたダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)と知人を通じて出会うことになります。
この時、ダイアナ・ヴリーランドは、マノロ・ブラニクのポートフォリオ作品を目にし、シューズデザイナーへの道を提案しました。その提案が元となり、1971年マノロ・グラニクはイギリス ロンドンで靴の製作をスタートさせます。
1972年には当時ロンドンで著名なデザイナーであった、オッシー・クラーク(Ossie Clark)が自身のショーで、マノロ・ブラニクの靴を使用し、一躍脚光を浴びることになりました。この出来事が、マノロ・ブラニクの靴ブランドとしてのキャリアの始まりとなります。
1973年には、ロンドンのチェルシーでマノロブラニクの第一号店をオープンさせ、続々と仕事が舞い込む盛況店になっていきました。その評判は世界中のファッション業界に広まり、アメリカ大手の百貨店であるブルーミングテルーズ(Bloomingdale's)、ニューヨークに君臨するデパート バーグドルフ・グッドマン(Bergdorf Goodman)などのコレクションを担当するまでに成長を遂げていきます。
その後も高評価を得続けるマノロ・ブラニクの靴は、カルバンクライン(Calvin Klein)や、クリスチャンディオール(Christian Dior)などといったトップブランドの靴デザインも手掛けることになり、さらに人気・知名度共にランクアップしていくことになるのです。
その後、ファッション業界からその功績が高く評価され、ファッション業界のオスカー賞とも呼ばれているニューマン・マーカス賞など、数多くの賞を受けていきます。
2000年代に入ると、2002年にはスペイン国王からゴールドメダルを授与され、母国で功績をたたえられました。2007年には、マノロ・ブラニクが拠点として活動していたイギリスからも、名誉ある大英帝国勲章が授与され、二カ国からその功績を称されるデザイナーとなります。
現在では、ニューヨークや香港など世界各国に直営店舗を拡充し、イタリアには4つの工場を動かしています。デザインの最終確認は、今なおマノロ・ブラニクが行っており、そこに靴ブランド マノロブラニクの魅力的なパーソナリティーが隠されています。