ファッションブランド、ミハラヤスヒロの創設者、三原康裕は画家の母のもとで生まれました。幼い頃から芸術や美術に興味を持ち、大学も美術大学へと進みます。
美術大学で様々なことを学んでいましたが、その頃の芸術は現在の参加型のアートが少なく一般の人と芸術の間には大きな壁がありました。三原康弘は、美術館に行っても作品に触れる機会はなく、作品と人が調和していないことに疑問を感じます。そして、その反発心として人が日常使う物の中から靴を選び、大学在学中から靴のデザインを始めました。
靴を作り始めても美術の世界同様、大量生産ではなく作品としての靴を作ります。誰かのためだけに作ったり、オブジェのようにして売ったりなど様々な手法を使いました。
しかし、一点ものの靴ばかり作り続けていても人との調和は生まれない、と感じて少しずつ生産性をあげた靴作りをはじめます。アートでもない、ファッション業界に染まっていない彼の存在は、異端児的な目でみられていましたが、本人は普通の人が存在できないところにいる自分のポジションを、居心地良く感じていたそうです。
当時の靴作りは、質の高い素材や作り方重視で作られているものが多く見られていました。また、有名ブランドの靴を真似て作られた靴も多く出てきていた時代です。
そんな中、彼は新しいテクノロジーや最新の素材を使った靴作りが必要ではないかと考え始めます。例えば、スポーツシューズはアスリートシューズとして作られていましたが、そこにファッション性を付加したデザインのものを提案していきます。その発想は大成功し、オリジナリティ溢れる靴が話題を呼び、日本だけではなく世界中のスニーカーフリークの目にもとまりました。
靴作りだけではなく、メンズ・レディースウェアづくりや、他ブランドとのコラボレーションの仕事なども積極的にはじめます。それが現在のミハラヤスヒロのブランドになります。彼のファッション観やデザイン観に共感し、共に作り上げる仲間も増えてきました。三原康裕が物作りを進めていく中で大事にしていることは、今自分が作りたいものを作るということです。
彼は、いろいろなものがシステマチックになっている世の中では、少しずつ創造性がなくなっていっているのではという発想を持っています。自身が喜ぶことができるモノ作りをして、それをお客さんが楽しんでくれている姿を考えながらデザインを進めているとのことです。既存の枠にとらわれない彼の発想や、遊び心があるミハラヤスヒロのブランドは、国内だけではなく世界から注目されています。
はじめはアートの興味を持ち、最終的にはファッションの世界にいる三原康裕ですが、彼はファッションは理性や道徳では語れない世界だ、と語っています。「上手くいく時もいかない時ももちろんあって、ファッションは人間的に面白い世界。そして、そこにこそファッション業界の魅力がある」という考えを持っています。