ミハラヤスヒロ(MIHRAYASUHIRO)とは1996年に日本人デザイナーの三原康裕が立ち上げたブランドです。三原康裕は福岡県生まれの日本人デザイナーであり、1972年に油絵画家として活躍していた母のもとに生まれ、父はニワトリを研究する学者でワクチン開発などに携わっていました。そんな両親の豊富な才能と母の英才教育により幼いころから絵画を描き、芸術に恵まれた環境で育ちました。 1994年、多摩美術大学デザイン学科テキスタイル学部在学中、なめし工場で革に関する知識を学び、靴職人から靴を製作する技術を習得、その後独学で靴を作り始めます。 そして1996年、靴メーカーのバックアップを元に、オリジナル靴ブランド「archi doom(アーキドゥーム)」をスタートしました。アーキドゥームとは建築のアーキテクチャー(Architecture)と破滅的な運命という意味のドゥーム(doom)の二つの意味を組み合わせ、破壊と創造という対のイメージを持った名前にしました。 その後1997年、多摩美術大学デザイン学科テキスタイル学部卒業後、ケイタマルヤマ(KEITA MARUYAMA)などと、多彩なコラボレーション作品を制作します。靴の制作に携わる為、シューズメーカー「EVOL」の設立に参加。その後ブランド名を「archi doom」から「MIHARAYASUHIRO」に変更しました。 1998年9月、東京の南青山にミハラヤスヒロ初のオンリーショップ「SOSU MIHARAYASUHIRO(ソスウ ミハラヤスヒロ)」をオープンしました。翌年1999年4月、有限会社「SOSU(ソスウ)」を設立します。SOSUとは数学で言う「素数」から来ており、1とその数字自身しか割り切れないという意味で、規則性をもたず永遠に続くチャレンジ精神をコンセプトに命名します。 同時期から靴だけではなくウェアラインも発表し、ついに2000年S/Sよりメンズ、レディースコレクションスタートし、東京コレクションにて発表します。更には同年代にスポーツウェアにも新しいデザインと機能性を提案し、プーマ(PUMA)とのコラボレーションを発表。プーマ・バイ・ミハラ ヤスヒロ(PUMA by MIHARAYASUHIRO)として世界的にブランドの知名度を向上させました。このコラボレーションで製作されているスニーカーは世界各国で販売されています。 その後、2005年A/Wからミラノコレクションに初の参加を果たし、2007年A/Wにコレクションの舞台をパリコレクションへ移しました。パリのコレクション以降、様々なスタイルやデザイン、時に素材や演出まで新しいものに挑戦し続けているミハラヤスヒロ。本来は外側にあるベルトや金具などのパーツ類を革の内側に入れ、その後、立体に炙り出す技法を取り入れ、また2012秋冬コレクションの際、ミハラヤスヒロを好んで着用しているアーティストの雅-MIYAVI-(ミヤビ)をコレクション会場のサウンドに起用するなど、型にはまらないミハラヤスヒロの新たな挑戦は今でも続いています。
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