バスケットの神様

ナイキからバスケットシューズとして1985年に発売された、エアジョーダン。スポーツシーンで活躍していたスニーカーを、ファッションアイテムもしても取り入れるきっかけとなった人気モデルです。 このスニーカーのモデルとなっているのは、当時アメリカで絶大な人気を誇っていた、マイケル・ジェフリー・ジョーダン。「マイケルジョーダン」の名で、日本国内でも親しまれている人物です。 バスケットの神様と称される彼は、バスケットの本場であるNBAで数々の実績を残したスター選手。現役時代に付けていた23番という背番号は、彼が在籍していたノースカロライナ大学、マイアミ・ヒート、シカゴ・ブルズで永久欠番となるほどです。 1988年には、全米大学体育協会(NCAA)を制覇し、オリンピックで金メダルも獲得します。

ナイキの広告塔へ

当時、バスケットボール界への進出を目標としていたナイキは、バスケットボール会のヒーローともいえるマイケルジョーダンを広告塔として起用することを決断。 マイケルジョーダンへ、「年間5000万円の5年契約」という当時としては破格の金額を提示します。 3年以内に「新人王獲得」や「オールスターへの出場」など、ナイキ側からの様々な高い要求に合意し、晴れてナイキの広告塔となったマイケルジョーダン。こうして、エアジョーダンの第一号となる「Air Jordan1」が誕生しました。

罰金でも履き続けたAir jordan

しかし、マイケルジョーダンが活躍するNBAから、Air Jordan1の着用禁止令が発令されてしまいます。その理由は、「ユニフォームと色が合わない」から。 もし試合で着用すれば、50万円の罰金が科せられるというペナルティーも設けられました。その問題を解決すべく、ナイキがその罰金を肩代わり。 マイケルジョーダンは、晴れてAir Jordan1を履いて試合に出場できることとなりました。双方が積み重ねた努力の甲斐もあり、Air Jordanは不動の人気を集めていきます。

豊富なバリエーション

今もなお高い人気を誇るAir Jordanは、1985年以来続々と新しいモデルを発売し続け、現在では約30種類のバリエーション豊富なモデルが登場しています。 Air Jordan1の発売から順番に数字が印字されている、「ナンバーズ」と呼ばれるモデルや、モデル名と西暦が印字されている「2009~2011」、さらに進化を遂げた「XXシリーズ」など、主力モデルはどれも大ヒット。 1990年発売の「Air Jordan Ⅴ」は、マイケルジョーダンがオールスターにこのモデルを着用して出場したこともあり、Air Jordanの人気に火をつけるきっかけともなりました。 このモデル欲しさに殺人事件が起きてしまうほどで、今でも幻のモデルとしてスニーカーマニアの間で語り継がれています。 マイケルジョーダンが現役を引退したあとも、続々と発表される新型モデル。新モデルが発表されるたびに話題となり、毎度その進化に注目が集まります。これからも長く人々から愛されるであろうAir Jordan。スニーカー人気に火をつけたといっても過言ではない一足です。
ナイキ 高価買取いたします »

【RINKAN公式SNSにて最新情報配信中】