1968年アメリカで創設したスポーツ関連の商品を展開するナイキ(NIKE)。現在では世界的人気を誇る、スポーツメーカーとしてその名を知らぬ人はいないほどの企業になりました。
ナイキはこれまでに数多くの人気シューズを誕生させてきたことでも知られ、オリジナリティのある機能やデザインにユーザーからの評価も高く、名実ともに世界中から支持を得るメーカーとなっています。
バスケットボール界を変えた一足
そんなナイキが数多く発信してきたシューズの中でも、上位の人気を誇るのが1985年に誕生した「ナイキダンク」です。
1980年代半ば、アメリカ・大学バスケットボール界は盛り上がりを見せており、当時活躍していた選手の中には、アーキム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon)、パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)、マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)と早々たるメンバーが在籍していました。
そんな選手たちにとってバスケットボール専用シューズは必需品。当時選手たちが使用していたバスケットボール専用シューズのカラーは白を使用したものが主流で、そこに目をつけたナイキはシューズにスクールカラーを配色した「ダンク」を生み出します。
鮮やかな配色を施したダンクは、当時アメリカの大学バスケットボール界で強豪校とされた大学のスクールカラーを対象に、全7色のカラーリング展開を行いました。
また、ハイカットタイプ、ローカットタイプそれぞれも製作されています。発売時ダンクにつけられたキャッチコピーは「自分の大学に誇りを・・・」。
伝統ある各大学のカラーを身にまとい、選手・ファンが一体となってゲームに臨むスタイルをナイキが提唱し、ダンクを生み出した根底の部分となっています。
このダンクの誕生は、プレイヤーのみならず当時のバスケットボールファンにも衝撃を与えたとされ、その後のバスケットボール専用シューズ、バスケット界そのもののあり方を牽引していくことになります。
スケーター界からの支持
1980年代後半、バスケットボール界で発展を続けたダンクも販売期間を終了となります。終了時期に重なるように、スケートボードを行うコミュニティでダンクは支持を獲得していました。
それまで、スケーターの間で愛用されていたのが「ナイキブレイザー」であったが、本革で作られたダンクには耐久性があり理想的な造りとされたのです。
当時、市場に出回り始めていたダンクは、在庫処分などで低価格化にもなり、シューズを履きつぶすことが日常的なスケーターにとっては悩みを解消する点でもありました。
日本へのダンク旋風
1990年代に入り、バスケットボール専用シューズとしてのダンクはそれまでの人気を低迷させていました。
しかしヴィンテージを収集するコレクターの間では、稀少価値を見出され1980年代のダンクはアンティークとしての格別な待遇を受けていました。
この流れはその後も続き、1990年代末期日本でのスニーカーブームとも相成り1999年ナイキダンクの復刻版が生産されました。
このダンク復刻版発売は、スニーカーブームであった日本にも強烈なダンク旋風を巻き起こし、ストリートファッションと呼ばれるファッションスタイルへと連鎖していきます。
現在もダンクは人気シューズの一角を担い、多くのコラボレーションモデル、先進技術を搭載した「ik」モデルなど進化を続けています。