生みの親 吉田吉蔵
日本のバッグブランドの吉田カバンは、創業から75年以上の歴史があるブランドです。吉田カバンの生みの親である吉田吉蔵は1906年神奈川県に生まれで、わずか12歳にしてカバン作りの修行を始めました。
吉田吉蔵は関東大震災の経験を通じて、カバンの必要性を感じ、1935年、29歳にして東京の神田に吉田鞄製作所を設立しました。1951年には株式会社吉田と改組し、社屋も東神田へと移転します。
1953年、エレガントバッグを開発し、これが爆発的ヒットとなります。エレガントバッグの特徴は、ファスナーでバッグのマチ幅を自在に調節することができ、使わない時はコンパクトになるという点で、狭い住宅に住む人々に評価されました。
翌年、後の皇太子妃となる美智子皇后がテニスへ行かれる際のバッグとして吉田カバン製のものを使用されており、注目を浴びることとなります。
ポーター(PORTER)の発表
1962年には、吉田カバン初の自社ブランドであるポーター(PORTER)を発表しました。
その当時はバッグのメーカーが自社ブランドを展開するというのは珍しいことであり、ポーターを発表した背景には、当時の人々にはブランドにこだわるという意識が無かったため、商品が消費者の手に渡った時に、どのブランドが作ったかを知ってほしいという吉蔵の思いがあったと言われています。
1968年に発表したバロンシリーズは、耐久性のあるレザーと使ったカバンで、吉田カバンが世に送り出した数々のカバンの中では最も古い歴史があり、現在も継続的に生産、販売されています。
吉田カバンの世界進出
1981年に当時吉田カバンの代表デザイナーが世界的に著名なデザイナーを集めた集団NYデザイナーズ・コレクティブのメンバーとなりました。
このことによって吉田カバンの商品はニューヨークの有名デパートやアメリカ国内のセレクトショップでも販売されることとなります。
また、ニューヨークで販売されていた商品が日本人の関係者の目に留まり、日本の吉田カバンブランドの確立にも繋がりました。
高まる人気
1983年に発表されたタンカーシリーズはミリタリーを意識したバッグや展開されました。発表当初の人気は低めでしたが、今ではブランドを代表するシリーズです。
1984年に新たに発表したラゲッジレーベルは80年代、90年代に多くのファンがついた人気シリーズとなりました。
開業当初から自分の信念を崩さずカバン作りと向き合ってきた吉田吉蔵は、1994年に逝去しました。同年、吉田カバン初めての店舗が渋谷にオープンします。
2000年に入ると初の直営店も開店し、次々と直営店も増えていきました。2004年には新たなブランド、ヨシダブランドを発表し、海外のブランドやショップとのコラボレーションを展開します。
ポータークラシックの設立
そして、2007年には株式会社吉田から吉田克幸が息子の吉田玲雄と共に独立し、株式会社ポータークラシックを設立し、2008年にポータークラシック銀座をオープンしました。
2010年にはポータークラシックから新たなブランド、キチゾウ(KICHIZO)が全国展開スタートするなど、人気ブランドへと発展しました。
男性的なイメージが先行していた吉田カバンのバッグシリーズですが、2009年には女性向けにポーターガールがデビューしました。2010年に吉田カバンは創立75周年を迎え、現在も多くのファンを魅了するアイテムを展開しています。