プラダの創業

ミウッチャ・プラダの祖父であるマリオ・プラダ(Mario Prada)が、その弟のマルティーノ・プラダと共に皮革店を開店したことがプラダの創業です。 マリオは欧米を旅して、珍しい素材や質の高い皮革を集め、それらを使い優れた職人技術によって豪華な鞄を作成しました。 これがミラノの上流階級の人々から評判になり、イタリア王室の御用達となりました。プラダの質の高い製品は欧米に知れ渡り、ブランドを大きく成長させたのです。 1913年、ミラノ中心部に位置するアーケード、ビットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアに高級品を扱う店舗をオープンしました。 創業当初のプラダはスーツケースやトランク、旅行カバンなどを中心に揃え、それらは、クロコダイル、パイソン、象やセイウチなどのなめし革を使うという豪華なものでした。

プラダの急成長

時を経たずしてガレリア店は、ヨーロッパの貴族や上流階級の人々の行きつけの店となりました。そして開店から6年後の1919年にはイタリア王室の御用達となります。その評判は瞬く間にヨーロッパ全土に知れ渡り、革製トランクの販売でプラダは飛躍的な成長を遂げました。 その後マリオは、その時代の旅行カバンに一般に使われていた、セイウチの革などで作られた重いスーツケースは実用的ではないと思い、軽い防水生地が使われているバッグを発表しました。そのバッグは世界中のビジネスマンや富裕層の人々から支持されました。

戦争の影響

その後も順調に事業を進めていき、マンゾーニ通りに2号店を開店しました。しかし、時は第一次世界大戦から第二次世界大戦かけてからの時代、順風満帆に進んでいた事業に、戦争の暗い影が忍び寄ってきていました。 そのため、戦時中においてプラダの高級革製品は、時代にそぐわないものになっていきます。その影響を受け、派手なカバンを持って旅行する時代も幕を閉じます。 ミラノに開店予定だった3号店は中止となり、ミラノの本店は経営不振に陥り持ちこたえたものの爆撃にあってしまいました。さらに経営不振に拍車がかかり、マンゾーニ通りの2号店は閉店します。 弟マルティーノは第一次世界大戦から第二次世界大戦の間に政治的関連で兄のもとを離れて、その後は、マリオ・プラダのみでの経営となりました。

ブランドの低迷

やがて1958年には、マリオ・プラダがこの世を去ることとなり、あとを継いだのは、娘のナンザとルイーダでした。そこでプラダは、大きく方向転換をします。 ターゲット層をこれまでの上流階級から、戦後復興の立役者であった中産階級に変更しました。しかしその後、ブランドが大きく飛躍することはなく、プラダの人気は1970年代に急速に下降していきました。 プラダの成功は、創業者のマリオ・プラダの存在が大きく、1970年代までは一時的に大きく飛躍しましたが、彼の死後は不遇の時代を迎え、また、戦争という外的要因もあり、ブランドとして大きく低迷していくこととなりました。
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