プラダは、ヨットレース「アメリカスカップ」に参戦しています。日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、アメリカスカップというのは1851年から現在まで続いている国際ヨットレースです。そして、近代オリンピックやサッカーのワールドカップ、ゴルフの全英オープンといったスポーツ界最大の栄誉ある賞よりも歴史ある世界最古のスポーツトロフィーとして認知されている最高峰の賞なのです。 このヨットレースに「ルナ・ロッサ」号に乗って参戦したプラダは、ヨットレースへの熱い情熱を持っていたことは確かですが、ブランドイメージの構築というもう一つの意味があったことも確かです。プラダは、このアメリカスカップ参戦の下地作りとしてレジャー向けのスポーティーなコレクション「プラダスポーツ」をリリースしました。同時にアメリカスカップへの参戦も同じ1997年に表明し、ファッションの外にある分野にまでその視野を広げようとしたのです。 1997年以降、現在の経営者であるパトリッツィオ・ベルテッリはヨットの国際レースであるアメリカスカップへの挑戦を開始します。2000年大会ではプラダチャレンジセーリングチームとして、アメリカスカップへの挑戦者決定戦ルイ・ヴィトンカップで優勝します。アメリカスカップ本線はチーム・ニュージーランドと対戦します。史上初のアメリカチームが存在しない組み合わせで行われましたが5-0で惨敗しました。 2003年大会もプラダチャレンジとしてルイ・ヴィトンカップに挑戦するも準決勝で敗れました。2007年大会ではルナロッサチャレンジとしてルイ・ヴィトンカップの決勝で敗れ、アメリカスカップ目前で敗退します。ベルテッリは2007年大会をもって挑戦を終了することを表明したため、結局アメリカスカップを手にすることは叶いませんでした。なおこの挑戦期間中は、自らもクルーとして愛艇ルナ・ロッサ号に乗り込むベルッテリの姿を海上で見かけることができました。 2012年、ベルテッリはアメリカ合衆国ロードアイランド州にあるアメリカスカップの殿堂にイタリア人としてはじめて殿堂入りします。2013年大会ではルナロッサチャレンジとしてルイ・ヴィトンカップ決勝を争いますが、敗退します。2017年大会はルナロッサチャレンジとして挑戦艇決定シリーズに参戦しますが、途中撤退します。 ルナロッサチャレンジは、固い決意と壮大な野望を共有した二人の男によって設立されました。一人は、プラダCEOパトリッツィオ・ベルテッリ。そしてもう一人が世界的なヨットデザイナー、ジャーマン・フレールです。 彼らは1997年に出会い、クルージングボートと刺激的な航海について語り合いました。アメリカスカップを取ろうと、彼らは突き進みました。目前に迫るエントリー期限にむけ、通常何カ月もかけて進めるところを、ベルテッリはたった2週間でゼロからクルーを組織しました。その組織は、現在では150ものメンバーと4隻のボート、そしてイタリアとニュージーランドに2つの拠点を持つまでになりました。ルナロッサチャレンジは、最も古く誉高いアメリカスカップにおいて、最も名高く、愛されるチームの一つになりました。 イタリア人はプラダのレースに熱狂し、まるでイタリア代表のように応援したといいます。 プラダのヨット、ルナ・ロッサ号にはプラダスポーツ同様の赤いラインが掲げられており、プラダスポーツとの相乗効果が十分にあったと思います。認知度をあげるため、さらにはブランドイメージを向上させるために、色々と趣向を凝らした結果、現在のプラダが創り出されているのでしょう。
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