プラダといえば黒のナイロン素材を使ったアイテムが最も有名だと思います。ただのナイロンだと思っている方も多いようですが、実はあの素材は「ポコノ」という特殊な素材で、単純なナイロンではないのです。

ポコノに注目したミウッチャ

このポコノを使った製品開発というのは、1978年にミウッチャ・プラダがプラダの3代目として跡を継いですぐに開発が進められたものですが、祖父でありプラダの創業者のマリオ・プラダが旅行用カバンの素材として使っていたことがありました。 ミウッチャはこれに目をつけ、皮革製品の老舗としての技術とこのポコノをうまく組み合わせ、エレガントで実用的なバッグを生み出しました。 ミウッチャが跡を継いだ頃のプラダというのは、過去に王室御用達であったプラダの威厳はすっかり眉をひそめ、完全に停滞している状態でした。変革を進めようとしていたミウッチャは「これまでにない新しい物を作る」と意気込み、未知の素材を探していました。 そんな時に、マリオが輸入していたアメリカの工業用ナイロン「ポコノ」を使ってバッグを作ることを思いつきます。このポコノは、工業用に特化された素材でテントやパラシュートといったミリタリー用品を作るために主に使われていました。 高度な技術が詰まった素材で、シルクのように軽く手触りも良く、とても薄いのに丈夫で、撥水性も高い。ミウッチャにとってこの上ない理想の素材だったのでしょう。この直後にプラダは専用の設備を導入し、新しいバッグを誕生させるのです。 とはいえ、どんな世界でも「斬新な物」はなかなか受け入れられにくいというのは、世の常。ナイロンバッグもその例に漏れなかったようです。当時は、ラグジュアリーバッグといえば、レザーバッグが当たり前の時代です。 一時はプラダ内部でも発売を躊躇する声も上がっていたようですが、それでもミウッチャは自分のスタイルを信じて押し通し、その考えが間違いでなかったことを証明します。そして発売から数年で徐々に人気が上がっていき、一大ブームを築き上げるほどになったのです。

ファッションモデルの影響

そのブームのきっかけの一端を担ったのは、プラダのお膝元であるミラノで、群れをなしていたファッションモデルたちの影響も大きかったようです。 ミネラルウォーターを入れたプラダのバックパックを背負ったモデルがミラノの街を歩く姿が多くの女性の心を捉えその姿を真似たのです。 その後1996年に、逆三角のロゴプレートを付けたポコノ製品を各種発表して事業規模は拡大、プラダの低迷期を救う事になったわけです。 プラダはミウッチャ・プラダのデザイナー就任以降は革新を続けてきたブランドです。 その中でもポコノの採用に関しては、プラダの歴史においてもとりわけ重要で最大の革新だったといえるでしょう。 現在では、プラダというとこのポコノを使った黒のナイロンバッグが代名詞となるほど広く浸透しています。
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