1920年、ドイツの靴職人の息子として育ったルドルフ・ダスラー(Rudolf Dassler)とアドルフ・ダスラー(Adolf Dassler)は、ダスラー兄弟商会を設立して運動靴の製造業を始めました。
1936年にベルリンオリンピックが開催されたことを機に、ダスラー兄弟商会は大きく業績を伸ばします。しかし、2人は性格が全く異なり、ことあるごとに対立していました。
彼らの仲を決定的に引き裂いたのは、第二次世界大戦終了後、ルドルフが武装親衛隊参加容疑でアメリカ軍に逮捕されるという事件が起こったことでした。
ルドルフは、この逮捕は、アドルフが密告したからだと確信し、ダスラー兄弟商会はついに分裂します。主に販売担当を請け負っていたルドルフの元には販売を担当していた社員が、製造担当のアドルフの元には製造を担当していた社員が付いていく形となり、ルドルフがプーマ(PUMA)、アドルフがアディダス(Adidas)を設立します。
プーマが2本線、アディダスが3本線のフォームストライプがそれぞれのブランドアイコンになり、シューズの開発とシェアの熾烈な争いを繰り広げました。両者の本拠地は創業地であるヘルツォーゲンアウラハの街の川の北側と南側で分かれ、街ごと真っ二つに分断したほどだと言われています。
街の人々は互いのシューズがプーマかアディダスかを確認してからでないと、会話ができないほど対立は深刻なものになり、街の人々は皆靴を意識していたため、「首を曲げた街」と呼ばれるほどでした。
当初は製造部門を抱えていたアディダスが圧倒的優勢でサッカーのドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンがアディダスのシューズを使用して優勝したため、アディダスがいち早く世界ブランドへの階段を上ります。
その一方でプーマはルドルフ仕込みの営業力を大いに発揮し、ドイツ国内外の有名選手にシューズを提供します。ペレやマラドーナなど、スーパースターがプーマのシューズを愛用したことで有名ブランドとして世界的に認知されました。
1974年にルドルフが、1978年にアドルフがこの世を去り、彼らの息子の世代になっても親族間の不仲は解消されませんでした。
現在ではプーマはグッチ(GUCCI)などを抱えるフランスの流通持ち株会社、ケリングの傘下にあります。
一方アディダスも経営危機に陥りフランス実業家のドレフュスに経営権が渡り、両社ともダスラー家の手から離れています。しかしながら、今もなお、プーマとアディダスの間ではほとんど正式な対話がありません。
2人の兄弟喧嘩がなければ、世界的に有名な2大シューズメーカーは、この世に生まれることはなかったのです。