スニーカーやスポーツファッションで有名なプーマ(PUMA)は、1924年ルドルフ・ダスラー(RUDOLF DASSLER )とアドルフ・ダスラー(Adolf "Adi" Dassler)の兄弟が「ダスラー兄弟靴工場」を設立したことにより始まりました。ダスラー社では、本格的なアスリートに対応するシューズの開発に力を入れます。
1928年夏季のオリンピックアムステルダム大会で、多くのドイツ人選手がダスラー社のスパイクを着用しました。
1936年には、ダスラー社のスパイクを履いたジェシー・オーエンスがベルリン五輪で4つもの金メダルを獲得しています。その他にも、ダスラー社のシューズを履いたアスリートが7つの金メダル、5つの銅メダルを獲得するなど、世界新記録や大会記録を出しました。
1948年ダスラー兄弟商会は解散し、事業資産は二人で分配します。そして、兄・ルドルフによりルドルフ・ダスラー・シュー・ファクトリーを設立しました。当初ブランド名は、ルーダでしたが、以後プーマに改名されます。同年、プーマ初となるサッカースパイク・アトムが販売されました。
1950年、ヘルベルト・ブルデンスキや西ドイツ代表選手数名が、プーマのスパイクを履いて試合に出場します。
1952年、世界初となるねじ込み式スタッドスパイクのスーパーアトムを発売し、このスパイクの開発には、西ドイツ代表監督のセップ・ヘルベルガーや専門家が携わりました。
1953年、スーパーアトムの後継モデルで進化したブラジルが発売されます。1954年陸上競技でプーマのスパイクを着用したハインツ・フュッテラーが、男子100mの世界記録を収めました。
1955年、ボールの制御力向上のために無数の突起をアッパー部分に配置した、ホワイトのホワイト・プレデター・プロトタイプを制作します。
1957年、今ではほぼすべてのプーマシューズに使われているデザインとロゴマークをこの年から導入しました。
1958年、トレードマークのロゴ、そしてフォームストライプを導入し、サッカーの祭典でサッカースパイクは唯一のドイツ製サッカーシューズとなります。
1960年、ローマオリンピックにてプーマのスパイクを着用したアルミン・ハリーが男子100mで金メダルを獲得しました。
1962年、チリで開催されたサッカー大会で、プーマを着用したペレが優勝を飾り、MVPにも選ばれます。
1964年、アメリカでベコンタ(BECONTA)と販売代理店契約を結びました。
1966年、ワールドカップイングランド大会で、北朝鮮に逆転勝利をし、プーマを着用したエウゼビオが大会得点王となります。
1968年、プーマを代表するシューズSuede(スウェード)が販売されました。