2000年、クリスティ・ターリントンと共同開発で、ヨガライフスタイルブランドであるヌアラを開始します。
2001年、プーマスピードキャットが発売、そのモデルの起源はF1で、モータースポーツ界におけるプーマの貢献が具現化されたものです。
2002年、プーマは新しいセラレーターサッカースパイク蹴道を発売し、ラバーブーツや、フットウエアなどを扱う、トレトングループに買収に成功しました。
2003年2月、日本のプーマ・ジャパンが設立されます。また、三原康裕(Yasuhiro Mihara)と共同で、PUMA by MIHARA YASUHIROを開始します。
2004年、公式サプライヤーとしてスクーデリアフェラーリと複数年契約を締結しました。フェラーリのオフィシャルフットウエアをはじめ、アパレル、アクセサリーなどを開発し、国際的に販売をします。
2006年、W杯ドイツ大会にて、32チーム中12チームがプーマ製品を着用し、大会で最大のチームサプライヤーとなり、またアレキサンダー・マックイーンと共同で、「PUMA BY ALEXANDER MCQUEEN」をスタートしました。
2007年、アパレル・アクセサリー界の世界的リーダーフランスPPRがプーマを買収し、60%を超える株式を取得します。
2008年、北京オリンピックでプーマアスリートのウサイン・ボルトが、100メートル走で9秒69の世界記録を樹立しました。翌年ボルトは、世界陸上ベルリン大会で、100メートル9秒58を出し、世界記録の更新に成功します。
2010年、サッカーW杯アフリカ大会にて、プーマはガーナ、カメルーンなど7つのサッカー連盟をサポートし、世界で初めてとなるコンチネンタルサッカーキットのアフリカユニティーキットを発表しました。 また、ゴルフ用品のブランドのコブラゴルフを買収します。
2011年、プーマSEに組織変更し、フランツ・コッホが会長兼CEOとなりました。そして、サッカーパートナーとしてドイツのボルシア・ドルトムントを新たに加えます。
2012年、ロンドンオリンピックでは、プーマのユニホームを着た選手が19個のメダルを獲得するという快挙を成し遂げました。多くのメダルはジャマイカチームが獲得し、ウサイン・ボルトは、100Mと200Mの両方で、2大会連続の金メダルを獲得し、スポーツ界での地位を強固にします。
2013年、ビヨン・グルテンを新CEOとして迎え、マリオ・バロテッリと契約を結びました。
2014年、最新のプーマテクノロジーが採用された「エヴォパワー」を発表、同年サッカーW杯でトリックスは大会全試合中72%着用し、多くの人の注目を集めることになります。
2015年、特許権、商標権、デザインなど、トレトングループを売却し、今後10年間、FIGCの主要パートナーとなりました。
2016年、レッドブルレーシングF1チームのサプライヤーとなります。今後もプーマは、サッカーW杯やオリンピックなどを通じて多くの選手が身につけることにより、その存在感を増していくことでしょう。