レッドウィング(Red Wing)は、アメリカ生まれのワークブーツの代表的ブランドです。レッドウィングはチャールズ ベックマン(Charles H Beckman)によって創立されました。
ブランドの始まり
1856年に生まれたチャールズ ベックマンは、ドイツから移民としてアメリカに渡り、17歳になった1883年には、S.B. Foot Tanning Companyの協力を得て、Beckman and Co.という靴やブーツを扱う販売会社で働き始めます。
ベックマンは靴に対して並々ならぬ情熱を持ち、お客の足にぴったり合わない時は、販売を拒否するほど、靴に対して真摯に向き合います。
この事業は大成功を収め、レッドウィング地域において、20年間で50万足を売り上げました。この経験から良質なつくりのブーツが求められていることを知ったベックマンは、1904年にレッドウィングを立ち上げることを決意します。
1905年には、彼と14人の投資家たちを含めた15人で、レッドウィング シューズカンパニー(Red Wing Shoe Company)を設立。レッドウィングという名前は、ミネソタの小さいレッドウィングという町の名前に由来しています。
始めのターゲットは農民
当初、レッドウィングの主要顧客は農民たちでした。レッドウィングは、農業や林業、鉄鋼業、鉄道産業など、その当時ブームとなっていた産業を市場としました。
最初の1~2年は苦労しますが、農業や林業などの業務に特化した靴、たとえば幅広いサイズ展開や、快適性と耐久性に優れた靴を展開して、次第に支持を得ていきます。
1908年には、高まる需要に応えるため、4階建てのレンガ造りの工場を建設し、一日に450足を仕上げる生産能力を持つようになりました。
事業の拡大
1911年にはチャールズ ベックマンは引退し、株主であったC.H. Boxrudが社長となりますが、1921年にBoxrudが死去した後は、J.R. Sweasyが経営権を握ります。
1918年には、第一次世界大戦における軍の需要に応え、最大限、耐久性と快適性にこだわった製品を生産し、第二次世界大戦後には、全米と海外市場に事業を拡大しました。
1949年にはJ.R. Sweasy の息子であったWilliam D. Sweasyが社長となり、第二次世界大戦において、過去に例のない需要を受けたこともあって、レッドウィングの信頼性が証明されていきました。
アイリッシュセッター877モデル
1952年には、レッドウィングのアイリッシュセッター877モデルが大成功を収め、過去最大の利益を獲得し、ブーツ業界において、確固たる地位を確立します。
アイリッシュセッター877は、1952年に開発されたオロラセットというなめし革を使用したモデルの、モックトゥタイプという、つま先に縫い目があるタイプを採用したもので、8インチ丈のものでした。