「ニュー・ルック」に影響を受けたヴィヴィアン
イギリスのファッションブランド・ヴィヴィアンウエストウッド(Vivienne Westwood)の創業者ヴィヴィアン・イザベル・スウェア(Vivienne Isabel SWIRE)は1941年4月8日、イギリスのダービーシャーで生まれました。
幼い頃からファッションの虜で、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が確立した「ニュー・ルック」と呼ばれるスタイルに強い影響を受けます。
絵を書くのが得意で画家を目指しスクールに入学するも、1学期で中退し、生活していくためにアート専攻の教師の道に進むことを決意しました。
二人の夫との出会い
そのころ結婚した一番初めの夫の姓がウエストウッドであったため、以後、ヴィヴィアンウエストウッド(Vivienne Westwood)と名乗ります。
その後男子をもうけましたが、3年後の24歳の時に離婚します。モデル・マリークワント(MARY QUANT)の影響を受けて大学に再入学し、歴史を専攻します。
この時期に、仕事上でも私生活でもその後の人生の長年のパートナーとなる、マルコム・マクラーレン(Malcolm McLare)と出会い、次男も誕生しています。マルコムに強い影響を受けたヴィヴィアンは、反体制派の考えに傾倒していきます。
デザイナー活動のスタート
1971年、マルコムがロンドンにブティックを開きますが、マルコムのファッションセンスは時代を先取りしすぎて生産者がいませんでした。そのため、ヴィヴィアンは教師を辞めて生産するようになり、デザイナーとして活動をはじめます。
これをきっかけにファッションデザイナーとなり、2人はレット・イット・ロック(LET IT ROCK)というブティックをオープンしました。
ブランド「ヴィヴィアンウエストウッド」の誕生
当時のトレンドであったヒッピールックを拒否し、ロックを軸に置いたエキセントリックなファッションを発表し、ロンドンの若者から熱狂的な支持を受け、自身の名を冠したヴィヴィアンウエストウッドを発表します。
ヴィヴィアンは70年代後半から歴史に興味を抱き過去のファッション研究を始め、イギリスのトラディショナル、クラシックとの融合を追い求めていきます。このようにヴィヴィアンはアンダーグラウンドから徐々に表舞台に移行していきました。
1982年10月には、マリークワント以来2人目の英国人デザイナーとして、コレクション発表の場をパリに移し、1984年後半には13年間パートナーを務めたマルコムからも独立します。
パンクの立役者
1989年、48歳の時には世界の優れたデザイナーの6人のうちの1人に選ばれました。90年代前半にはスコットランドの伝統をパンクファッションに使用し、パンク=チェックというイメージを確立させました。
コレクションのためにタータンチェックを独自に作製し、これを結婚したアンドレア・クロンターラー(Andreas Kronthaler)にちなんだ名前を付けています。
「印象的な服を着れば着るほど、人は良い人生を送れる」と言うヴィヴィアンのデザインは、90年代後半からフェミニンかつエレガントなスタイルへ移行していきました。
2006年には、エリザベス女王よりイギリス人デザイナーとして初めてデイム(Dame)の称号を与えられ、さらには3度目のBritish Designer of the Yearも受賞します。
注目を集める活動
ヴィヴィアンは、洋服以外にも、Android搭載スマートフォン、ヴァージン アトランティック航空のユニフォームなど、様々なジャンルのデザインも多数手掛けています。
パンクというファッションを創り、キャリアを積んだ現在でも奔放な想像力を持ちアヴァンギャルドを突き進むデザイナーヴィヴィアンの今後にも目が離せません。