ヴィヴィアンウエストウッドの始まり
印象的過ぎるロゴとアバンギャルドなスタイルを築きあげるVivienneWestwood(ヴィヴィアンウエストウッド)は、1971年のロンドンで誕生しました。
今や世代や国を問わず幅広い人々から絶大な支持を集めており、個性的でありながら、着る人を元気にしてくれる不思議な魅力があるブランドです。
1965年、ヴィヴィアンウエストウッドブランドの立ち上げには、ブランド名でもあるヴィヴィアンの二人目の夫となるマルコム・マクラーレンとの出会いが大きく影響します。
アナーキー(無政府主義)な思想を持ちファッションと音楽にのめり込む彼に、ヴィヴィアンは衝撃と多くのインスピレーションを受けました。
原点「レット・イット・ロック」の開店
当時のロンドンといえばヒッピーがトレンドでしたが、ヴィヴィアンとマルコムが注目したのは、反逆精神を感じる1950年代の洋服や音楽でした。テディボーイと呼ばれ、当時の下町で見られた、少し不良な雰囲気のあるパンク調の洋服を作ります。
そして1971年の12月、ロンドンの流行発信地とも呼ばれるキングスロード430番地において、レット・イット・ロックを開店しました。ヴィヴィアンウエストウッドの原点ともいえるこの場所は、今も昔もファッション最先端のエリアです。
バイカースタイルへの変化
翌年にはバイカースタイルに興味が移り、ファッション性が変わったことからトゥーファストトゥリブ・トゥーヤングトゥダイに名前を変えました。
スタッズやジップを採用したデザインは、バイカースタイルのとおりバイクに乗る人をイメージしたものが多く、この時期はレザージャケットを多く制作しています。
パンクファッションの広がり
1974年になると、店名をセックスに変更しました。
スタイルも、ロック風のバイカースタイルから、ボンテージ風やパンクへと変化したことで、社会や上流階級に反抗する労働者階級の若者たちを中心に人気が広がり、その存在はロンドンだけでなく、イギリス全体に知れ渡ることになります。
1976年、またもや名前を変更し、セディショナリーズとなります。改名には、マルコムが手掛けたセックス・ピストルズの楽曲がチャート1位になったものの放送局が流すことを拒否した事件が関係していました。
こうした背景から、これまで隠微なものだったジッパーやストラップがファッションとして広く認知され、パンクファッションという新たなジャンルを築きました。
1980年にはワールズエンドと名称を変え、同時にイギリスの歴史や伝統的なものとファッションとの融合を追求した服作りに変わっていきました。
ショーデビュー
翌1981年には、パイレーツコレクションでキャットウォークショーデビューを果たします。このショーが成功したか否かは、アバンギャルドの女王と呼ばれる現在が証明してくれています。
1983年にはパリコレに進出するなど、一気にトップデザイナーとしての地位を確かなものに築き上げます。そして同時期に、これまで一緒にブランドを作り上げてきたマルコムとの共同作業を解消しました。