重要な存在 マルコム・マクラーレン
独特の世界観で人々を引き付けるブランドが、ヴィヴィアンウエストウッド(Vivienne Westwood)です。そして、短い活動期間だったものの、後の音楽界に多大な影響を与えた伝説的バンドであるセックス・ピストルズ。
どちらもパンクカルチャーを語る上で欠かせない存在ですが、この二つにはある人物が大きく関わっています。
その名は、マルコム・マクラーレンです。彼が居なければ、ヴィヴィアンウエストウッドもピストルズも、この世に誕生していなかったかもしれません。
マルコムの歩み
1946年のロンドンで生まれたマルコム・マクラーレンは、小さい頃に両親が離婚してからは、祖母の家で育つことになります。服飾工場を持つ母の影響でマルコムも自然とファッションに興味を持ち、デザイナーを目指すようになりました。
ファッションがごく身近にあった環境もあり、若いうちからデザインや裁縫を学んだマルコムは、ロンドン大学を卒業後、いよいよファッションデザイナーとして本格始動します。
1970年代のロンドンといえば、ヒッピーが流行し下流階級の若者たちが自由を主張していた時代です。当時のマルコムは、無政府主義団体としての活動も行っていました。
ヴィヴィアンとの出会い
ヒッピー文化や流行りを嫌う彼が注目したものは、1950年代に広まったテディボーイ(不良)スタイルやロカビリーです。そんな中、ファッションに対して同じ思想や情熱を持つヴィヴィアン・イザベル・ウエストウッドと運命の出会いを果たすことになりました。
イザベルとの間には、一人の男の子を授かります。公私ともにパートナーとなった二人が1971年に初めて出店したブティックが、レット・イット・ロックです。
反逆精神の表れ
その後店名やファッションのコンセプトを変え、1974年には、セックスに改名した際には、挑発的な言葉をプリントしたTシャツなどエキセントリックなアイテムを販売します。
こうしたメッセージ性の強いファッションに共鳴したのは、抑えきれない衝動を抱える若者たちでした。
セックスピストルズの誕生
デザイナーの仕事をしながら、ニューヨーク・ドールズというロックバンドのマネジメントにも携わっていたマルコムは、店の常連客をスカウトし、ドールズを超える過激なバンドを作ろうと目論見ます。
そして誕生したのが、後にパンクロックという新たなジャンルを確立するセックス・ピストルズです。
マルコムはピストルズのメンバーに反社会的な楽曲をつくり、過激な振る舞いをするようプロデュースしました。ピストルズの存在は、イギリスを超えて瞬く間に世界中に知れ渡ります。
反逆精神の強い歌、アバンギャルドなファッション、過激なパフォーマンスなど、ピストルズのすべてが若者たちの欲求を代弁してくれていました。
パンクロックの仕掛け人
歴史的にも音楽界にも影響力も持ったパンクロックの一大ブームが巻き起こりました。このすべての仕掛け人は、マルコム・マクラーレンでした。
1983年、ヴィヴィアンウエストウッドのウィッチーズコレクションを最後に、イザベルとのパートナーシップを決裂しました。その後は、常に新しいサウンドを取り入れるなど実験性の強いクリエイティブな活動を行っていましたが、2010年に中肉腫のため64歳でパンクな生涯を終えました。